Title Page 小林りん✕菅野志桜里対談
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リーダーシップ教育の新しい形 多様性の中で合意形成を図る「学校」の可能性【菅野志桜里✕小林りん対談】

自主的に考え、行動できる子どもを育てる――。 学校教育の現場では、詰込み型で受動的な教育から、主体的な発想を持つための教育へと転換が迫られている。だが実現にはまだ越えなければならないハードルが存在する。そんな中、世界に存在する複雑な問題に取り組む「課題解決型」思考を養う「国際バカロレア」教育を行い、日本の高校卒業資格を得られる全寮制の学校「ユナイテッド・ワールド・カレッジISAKジャパン(UWC ISAK)」の取組みが注目されている。代表理事を務める小林りん氏に、実は高校時代からの友人であるという菅野志桜里(TheTokyoPost編集長)が「これからのあるべき教育の形」について聞いた。

新しい学校教育の話を始めよう〈第1回〉

全寮制で各国から多様なバックグラウンドを持つ生徒が集まるISAK。「個人のアクション」が世界を変え得るSNS時代に、子どもたちが身につけるべき「ルールメイキング」の経験と、「チェンジメーカー」としての自覚について語る。

菅野志桜里✕小林りん対談はZOOMで行われた

◆菅野志桜里(TheTokyoPost編集長)

◆小林りん(ユナイテッド・ワールド・カレッジISAKジャパン代表理事)

日本初の「全寮制」「国際バカロレア」教育校

菅野志桜里(以下、菅野)    

りんちゃん、こんにちは。

小林りん(以下、小林):      

よろしくお願いします。

菅野:

今回は「The Tokyo Post」のスペシャル対談として、ゲストスピーカーに小林りんさんをお迎えしました。私、菅野志桜里と小林りんさんは、実は高校の同級生という、長い付き合いがあります。

小林:

しかも同じクラスでした。

菅野:

そう、同じクラスで、本当に特に仲いい女子の3人グループで、まさに青春時代を共にした友人です。なので、普段から呼んでいるように「りんちゃん」と呼ばせてもらいます。

小林:

そうですね。私も「志桜里さん」と呼ぶのも何なので、「志桜里」で(笑)。

菅野:

今日は「The Tokyo Post」編集長として、りんちゃんが代表理事を務めているUWC ISAKという全寮制のインターナショナル高校とそのミッションについて、お話しいただこうと思います。

UWC ISAKは日本の高卒資格と同時に、国際的なバカロレアの資格を取れるのですが、こういう高校は、おそらくこれまでになかったんじゃないかと思うんです。

国際バカロレアというのは、国際バカロレア機構(本部ジュネーブ)が提供する国際的な教育プログラムのことで、主として「世界の複雑さを理解して、そのことに対処できる生徒を育成し、生徒に対し、未来へ責任ある行動をとるための態度とスキルを身に付けさせる」と同時に、「国際的に通用する大学入学資格」、つまり「国際バカロレア資格」を与えることで、大学進学へのルートを確保することを目的として設置されたものです(参考:https://ibconsortium.mext.go.jp/about-ib/)。一方で、インターナショナルスクールではいわゆる日本の「高卒資格」が取れないことから、親としても子どもとしても「バカロレアを取得したいが、高卒資格も捨てがたい」というジレンマがありました。

小林: 

私たちの前にも、日本の高校で国際バカロレアを一部取得できる学校はおそらくあったと思うんですけれども、私たちISAKでは全校、全員が国際バカロレア課程を履修し、さらに授業は全て英語で実施しているにもかかわらず、日本の高等学校の資格、つまり教育業界で言うところの「教育一条校」の卒業資格を得られます。その意味では、日本で初めての試みでした。

菅野: 

設立はいつでしたか。

小林: 

2014年です。構想から7年、私がフルタイムのボランティアとして始めてから6年かけて設立されたので、コンセプトそのものは2007年から走り始めたという感じかな。

菅野: 

構想がスタートしてから約15年、学校自体は8年目ですね。

小林: 

そうなりますね。

気候変動アクションコンペで生徒が優勝

ザーイド・サステナビリティ・プライにてズ東アジア・太平洋高校部門の大賞を獲得

菅野: 

全寮制の国際高校となると、このコロナ禍では生徒さんも、先生方も、あるいは支援者の方々も含めて、ジェットコースターのような生活を送っていましたよね。りんちゃんのSNSで逐一見ていたのですが、水際対策一つとっても、本当に山あり谷ありで。でもそんな大変な状況の中、生徒さんの一人が政策コンペで優勝していましたよね。

小林: 

そう。ザーイド・サステナビリティ・プライズという、毎年開催されている気候変動に対する政策企画プロジェクト、もっと砕いていえば「自分たちは温暖化対策としてどんなアクションができるか」という企画コンペでした。生徒たちは温室効果ガスの排出ゼロ(ネットゼロ)の学校運営を推進し、敷地内の水とエネルギーの自給自足を目指し、生ごみ用のコンポストやバイオマスボイラーを設置するなどの施策で、完全にグリーンなキャンパスを作るというプロジェクトでした。

毎年UAEで表彰式が行われるのですが、東アジア・太平洋高校部門の大賞に選ばれ、1000万円という普通、高校生ではなかなか手が届かないような賞金をいただいて、大きなニュースになりました。

菅野: 

これがりんちゃんがUWC ISAKで一番やりたかったことなのかなと思ったのね。りんちゃんはSNSで繰り返し学校のミッションについて語っているけれど、最も大きなものは、「アジア太平洋地域とグローバル社会のためにチェンジメーカーを育てる」という目標で、ドーンと掲げている。今回の生徒さんの受賞は、まさに現在、最も大きな社会的問題の解決のためのチェンジメーカーとして、しかもアジア太平洋部門の優勝だから、「アジア太平洋でチェンジメーカーを育てる」というりんちゃんのミッションに、まさにど真ん中にハマるものだった。だからりんちゃんにとってもものすごく嬉しい出来事だっただろうと思って、私も一緒に嬉しくなってました。

小林: 

ありがとう。私も本当にうれしかったです。

「グローバルリーダー」から「チェンジメーカー」へ

菅野志桜里

菅野: 

そもそも、どうしてりんちゃんは「この日本にはチェンジメーカーが必要だ」と考えるようになったんですか?

小林: 

「チェンジメーカー」という言葉をあえて使っているのには理由があります。メディアや教育現場などでは「グローバルリーダーを育てる」というフレーズの方が広がりがちなんだけれど、「グローバルリーダー」は、どうしても大きな組織のCEOとか、社長だったりというように、肩書きやポジションに連携して連想されがちな言葉だなと思っていたんです。

一方で、「チェンジメーカー」と言った場合、立場や組織の大きさにかかわらず、自分の立場・自分の立ち位置から、世界に向けてチェンジを起こしていく個人のことを指す言葉だと思うのね。そのほうが私たちが目指すことにしっくりくるかなと思って使っているんです。

それには私たちが共有してきた時代背景もあるかな、と。私たちが高校生だった「ン十年前」……少なくとも30年前くらいまでは、気候変動にしても貧困問題にしても、「大きな社会問題は政府が解決するものだ」「地球規模の問題は、国際機関が解決するものだ」と思い込んでいた気がしていて。

菅野: 

それは私もよくわかります。議員時代によく、リーダーシップとフォロワーシップについての考えを持つべきだ、と言われたのですが、まったくしっくりこなくて。今の世の中の問題は、誰かがリーダーシップを払い、それに対して誰かが素晴らしいフォロワーシップを発揮してついていく、というこの構図自体がもう時代遅れなのかなと感じています。

小林: 

そうそう。現在はインターネットの発展、発達や、それに伴うSNSの広がりもあって、個人個人が持つ発信力や、個人個人のアクションがもたらすインパクトというものが、30年前とは比べものにならないぐらいものすごく大きくなっている。そうすると「チェンジ」自体、大きな組織にやってもらうとか、政府に文句を言ってやってもらうとか、お願いをしてやってくれるのを期待するというよりは、一人一人が当事者意識を持ってアクションを取っていく、それによってこれからの時代は大きなチェンジがもたらされるんじゃないかなというふうに思っているんです。

生徒たちには、そういうマインドセットで社会に出てもらったらうれしいなと思って、学校現場では生徒に向き合っています。

菅野: 

私も2021年に議員を辞めて、弁護士をやったり、人権問題に取り組んだり、メディアのプラットフォームを作って編集長をやったりしていますが、これだけSNSが発達して一人一人がメディアになって、自分の考えを発信し、そして相手の考えといくらでも交錯して新しいものを生みだすことができるインフラを、あまり経済的な余力に関係なく持つことができる、パワーを持つことができる時代になったということを痛感します。「これ、政治家って政治的な問題を解決するためのワン・オブ・ゼムになるんじゃないの」ということをすごく思うようになって。

小林: 

まさに。

菅野: 

政治的な問題というのがまさに政治と社会を分けられないように、政治家も社会の問題解決のプレーヤーのパーツの一つであり、大事なパーツではあるけれども、その他大勢の一員なんだなということをすごく感じていて。だからりんちゃんの今の話はすごくしっくりきました。

小林: 

政治家をやったことがない私が「政治家はワン・オブ・ゼム」だと言うのは簡単だけれども、政治を実際に長年やっていた志桜里がそう感じていたというのは、すごく今の時代を象徴していると思う。政治の現場に、しかも中心にいた志桜里がそういうふうに言ってくれることが大きいよね。

世界の中心が「アジア」に移る時代に

小林りん氏

菅野: 

りんちゃんの思いの中で、「アジア太平洋地域」という意識がすごく強いのかなと思います。私はりんちゃんとは違って、高校時代、大学時代ですら留学経験はないし、政治家としても、外交的なことをメインにやっていたわけではない。ただ、10年、政治家をやった中で最後の数年間、特に国際的な人権問題に関わったときに、西洋の人権的価値観を包含するような、アジア太平洋ならではのもっと広い寛容な物の考え方を、アジアの中で日本が示す必要があるんじゃないか、と思うようになりました。

私は「アジア太平洋の中の日本」という認識を真剣に考えるようになったのは残念ながらつい最近のことで、長い期間考えていたわけではないんだけれども、多分りんちゃんは以前から考えていたんですよね。高校時代から留学をしていろんな国の人が集まる中で、どこかアジアであり、日本という自分のバックグラウンドもすごく意識しただろうし、その中で価値観が変わっていったり、育っていったりしたと思う。そういう、りんちゃん自身の、バックグラウンドを踏まえての「アジア太平洋地域」ということなのかなと、勝手に思っていたんですよ。

小林: 

確かに、その点についてはマクロ的なこととミクロ的な視点が二つあると思っています。マクロで言えば、20-30十年後には人口もGDPも半分以上をアジアが占める時代がくると言われています。世界のセンターがアジアに移ってくる、アジアが再び、世界の中心になってくる大きな転換期に私たちはいるのかなという、マクロ的な認識ですね。もちろん西洋にもたくさんいいことはあるとは思うし、見習うべきところもあると思う反面、そういう変化はとらえておかなければならない。

と同時に、志桜里が言ってくれたみたいに、私は高校2年でそれこそ学校を辞めて、奨学金をいただいていきなり海外に行っちゃったんだけれど……。

菅野: 

行っちゃったんだよね(笑)。

小林: 

そうね、あのときに、英語も全くできないままカナダにぽつんと行って、全然話も分からない中で、いろいろな子たちと話す中で、だんだんアジア人としてのアイデンティティーみたいなものが芽生えたというのは、もちろん個人としてもあったかなと思う。

行間を読むとか、礼や仁義を重んじる価値観とか、生きとし生けるものをきちんと愛でるとか……。いろんなことに対して自分が当たり前のように思ってき日本人的な考え方、あるいはアジア人的な感じ方みたいなものを持つ自分を、多様性の中にいて初めて自覚したのかも。、ダイバーシティの中に放り込まれて初めて強烈なアイデンティティーが芽生えてきたというのはあるかなと思っていて。

本校の場合、今は国際教育機関であるユナイテッド・ワールド・カレッジの日本校という形で完全にグローバルな学校になっています。生徒も約200人の高校生が80カ国以上から来ているので、アジア太平洋地域の生徒だけではない多様性があります。でももともと校名にあるISAKというのはInternational School of Asia Karuizawaのことで、その「A」には、今言ったようなマクロ的な視点と、それから自分の個人的な認識、アイデンティティーというのがあるかなと思っています。

多様性の中で合意形成はどのように行われるか?

UWC ISAKの寮生

菅野: 

一方で、アイデンティティというのは衝突も産みかねませんよね。例えばUWC ISAKにはアフガニスタンからの生徒もいると聞いていますし、おそらく他の中東地域の生徒さんもいるでしょうし、中国からの生徒さんや、場合によっては台湾からの生徒もいるかもしれない。その中で、お互いのバックグラウンドの国同士が必ずしも良好な関係にない場合もあり得ます。生徒同士の間では、お互いに対立しかねない問題、例えばアフガニスタンの問題や人権問題について、逃げずに学校の中で対話する機会ってあると思う。そうした生徒同士の対話や合意形成、場合によっては対立とか、そういうものはりんちゃんから見てどうですか。

小林: 

実はそこがものすごく大事な気がしていて。私たち大人が「教える」ことができる多様性には限界があって、むしろ生徒が自ら直面し、時にはぶつかってしか感じ取れない、学べない価値観があると思う。私たちはもちろん、それを意図して全寮制なんだけれど、宗教や国の価値観、歴史、バックグラウンドはもちろん、「何を清潔的だと思うか」という個人的な感覚のレベルや、早寝早起きか、宵っ張りかという習慣に至るまで、本当に全く価値観が違う人と一緒に暮らすことの意味ですよね。

全寮制で同じ釜の飯を食い、4人部屋とか2人部屋で共同生活をするということは「自分の当たり前が当たり前じゃない」人と、常に共同生活を行うことでもあります。その生活を通じて、多様性の根底にあるもの、つまりそこで「自分の当たり前が当たり前じゃない人」と対峙したときに、本当に相手の立場に立てるかどうか、を生徒たちは学んでいる気がします。

通常、宗教の違いや国籍、人種の違いがある場合、お互いに距離感を覚えてしまう確率が高いけれども、実は同じ日本人でもすごく違ったりしますよね。政治もそうだけれども、歴史観にしても、文化的な価値観にしても、日本人の中でも全然違うものがある。その距離感は、もしかすると外国人との間よりは狭いかもしれないけど、必ずそこに存在するものですよね。

「彼らからはどう見えているんだろう」、「この空気は向こう側からはどう感じられているんだろう」と考える視点を持つことがすごく大事で、学校では日々、そうした学びの機会が起こっているんじゃないかと思います。


同質性と協調性が求められがちな日本の学校ではなかなか体験できない多様性のある環境での「摩擦の克服」や「合意形成」の経験の重要性。次回は、「学校こそ民主主義実践の場」であることや、ルールメイキングの重要性に触れる。

新しい学校の話をしよう【菅野志桜里✕小林りん対談】

〈第1回〉リーダーシップ教育の新しい形 多様性の中で合意形成を図る「学校」の可能性 ←今ここ

〈第2回〉子どもの無限の可能性にふたをしない」ギフテッド教育へのトライ

〈第3回〉留学生差し止め、「水際」の名の下に鎖国する日本

〈プロフィール〉

小林りん(こばやし・りん)経団連からの全額奨学金をうけて、カナダの全寮制インターナショナルスクールに留学した経験を持つ。その原体験から、大学では開発経済を学び、前職では国連児童基金(UNICEF)のプログラムオフィサーとしてフィリピンに駐在、ストリートチルドレンの非公式教育に携わる。2007年に発起人代表の谷家衛氏と出会い、学校設立をライフワークとすることを決意、2008年8月に帰国、インターナショナルスクール・オブ・アジア軽井沢(ISAK)を創設。2017年に同校がユナイテッド・ワールド・カレッジの世界17校目の加盟校となり、校名を「ユナイテッド・ワールド・カレッジISAKジャパン」に変更。 1993年国際バカロレアディプロマ資格取得、1998年東大経済学部卒、2005年スタンフォード大教育学部修士課程修了、2017年イエール大学 「グリーンバーグ・ワールド・フェロー」。2018年一般財団法人アジア・パシフィック・イニシアティブ理事​就任、2020年ユナイテッド・ワールド・カレッジ (UWC) 国際理事就任。

菅野志桜里(かんの・しおり) 宮城県仙台市生まれ、武蔵野市で育つ。小6、中1に初代「アニー」を演じる。東京大学法学部卒。元検察官。2009年の総選挙に初当選し、3期10年衆議院議員を務める。待機児童問題や皇位継承問題、検察庁定年延長問題の解決などに取り組む。憲法審査会において憲法改正に向けた論点整理を示すなど積極的に発言(2018年「立憲的改憲」(ちくま新書)を出版)。2019年の香港抗議行動をきっかけに対中政策、人道(人権)外交に注力。初代共同会長として、対中政策に関する国会議員連盟(JPAC)、人権外交を超党派で考える議員連盟の創設に寄与。IPAC(Inter-Parliamentary Alliance on China)初代共同議長。2021年11月、一般社団法人国際人道プラットフォームを立ち上げ代表理事に就任あたら