米中露:新冷戦の中で、私たちはアメリカのための“地雷原”国家になるのか。それとも?〈その3〉
伊勢崎賢治氏(東京外国語大学教授/紛争予防と平和構築専攻科)が国際政治・外交・防衛について語るコラム。今回は、アフガニスタン対テロ戦から2014年ロシアのクリミヤ侵攻までのNATOについて俯瞰する。
どっちの味方だ?~テロリストの側か?
これを認知している日本人は少ないが、北太平洋条約機構(NATO)が設立して以来、集団防衛(一締約国の敵は皆の敵とするNATO条約第5条)を初めて発動したのは、2001年911同時多発テロを契機とするアフガン戦だったのだ。
冷戦が終了してから、自身の存在意義を模索していたNATOに、新しいミッションを与えたのが、この対テロ戦である。ある意味、「渡りに船」だったのである。
建国史上はじめて本土が攻撃を受けた911の報復というアメリカの個別的自衛権で始まったアフガン戦は、その後、全世界を巻き込む世界戦に変身してゆく。
911から4ヶ月後の2002年1月。一般教書演説でブッシュは、テロ支援国家を念頭に「悪の枢軸」発言をする。名指しされたのは、イラク、イラン、そして北朝鮮だが、ここから全世界は「テロの味方か、否か」の意思表明を明確に迫られる時代に突入する。分断だ。
最も被害を被った国がある。アフガニスタンの東隣のパキスタンだ。
両国の“国境”は、ドュラン・ラインと呼ばれ、インド亜大陸が英国統治下だった頃、ブリティッシュ・インディアが侵攻できなかった難攻不落の部族地域(通称トライバル・エリア)である。英国からの「分離独立」以来、アフガニスタンとの事実上の国境になってきた。
パキスタンは、ライン以東のこの地域の部族たちに、自衛・自警を含め極めて高度な自治を認めることで、パキスタンへの帰属を承諾させ、なんとか国の形を保ってきた。
そして、911。軍人上がりの首相ムシャラフは、ブッシュの「どっちの味方か?」の決断を迫られる。
タリバンを生んだアフガニスタン最大のパシュトゥーン族は、このラインをまたぎ、パキスタンでも主要民族の一つだ。タリバンのオマール、アルカイダのビンラディン一味はここに逃げ込み、このトライバル・エリアが、後に続く「復活」の拠点となって行く。
冷戦時代のアフガン戦から対ソ連の重要拠点でありながら、現在、一帯一路構想の主要拠点であることからわかるように、パキスタンは、中国とアメリカの両方の支援を天秤にかけながら、国力では自身をはるかに上回る「分離独立」以来の敵国インドに対抗してきた。(ヒンドゥーの)インドと、(イスラムの)パキスタン両国の歴史は、常に戦争であり、その敵対意識が、それぞれのナショナリズムを形成している。
一般国民はというと、特に経済的弱者層は…歴代の軍政がそれをナショナリズムの高揚に利用してきたのだが…トライバル・エリアは言うに及ばず、「原理主義」が根強い。その意味で、反米である。しかし、政権は常にアメリカを必要とする。
ムシャラフが選んだのは、明確にアメリカに与することだ。そして、パキスタン建国史上初めて、トライバル・エリアにパキスタン国軍を進軍させたのだ。パキスタン国軍が、パキスタン国民を殺す、パキスタン国内の対テロ戦がここにはじまる。
一般国民の「原理主義」への嗜好は、反動的に刺激され、アフガン・タリバンと一線を画すという希望的観測がなされる、ISに忠誠を誓う「パキスタン・タリバン」等の過激組織の台頭を許してゆく。特筆すべきは、原理主義が育む、そういう「過激化」は、貧困層を蝕むというのが定説だったが、近年では、富裕層の高度な教育を受けた(特に工学系の)若者を取り込み始めたことだ。
そして、2021年の「アメリカの敗走」で、それらが更に「元気づいた」ことは言うまでもない。忘れるべきでないのは、パキスタンはインドに続き“違法”にそれを保有した、最初で唯一の核保有イスラム教国だということだ。
「渡りに船」、再び~NATO結束の大義名分
「対タリバンに軍事的勝利はない」。
これが、NATO軍首脳たちの間で共有され始めたのはいつ頃であろうか。
2007年のことである。僕は、ドイツ政府(カナダ政府共催)の主催で、アフガニスタンに出兵しているNATO諸国の “与党”の国会議員の公式クローズド会議に呼ばれた。「タリバンとの政治的和解しか戦争終結への道はない」と発言し始めていた僕に注目した在京ドイツ大使館は、その前からNATOやアフガン担当の有力議員の来日の度に、僕との会談の席を設けていた。
ドイツ・ボンで開かれたこの会議の内容を、同年に僕は日本の国会で証言している。
第168回国会 国際テロリズムの防止及び我が国の協力支援活動並びにイラク人道復興支援活動等に関する特別委員会 平成19年11月5日
当時は、アフガン戦がアメリカ建国史上最長の戦争になりかけていた頃である。NATOの集団防衛とはいえ、自身の戦死者、そして戦闘の犠牲になるアフガン一般市民へのコラテラル・ダメージが嵩む中で、一向に出口が見えないアフガン戦にそれら派兵国の世論には着実に厭戦観が定着しつつあった。この会議は、敢えて“アメリカ抜き”で開催されたのだ。
特に、日本と同じ“旧敗戦国”でありながら、戦後初めて“陸軍”を海外に出兵したドイツ。2009年には、アフガン北部で、ドイツ軍少佐による判断ミスから群衆を誤爆し、子供を含む100名余の一般市民を犠牲にした「クンドゥース事件」を引き起こす。無論、ドイツ国内では大問題になった。
このあたりから、NATOの「責任ある撤退」の模索が始まり、それは2014年から実施されたNATO主力戦力の段階的撤退計画となる。段階的とは、アフガン国軍へ戦闘責任を引き継ぎ、NATO軍は国軍兵士の訓練を含む後方支援に回るということだ。
しかし、国際協力史上最大の支援を受けるも、アフガン政府財政を支配する縁故主義と汚職は、既に国軍兵士への給料未払いという問題を顕在化させており、士気を期待する方が無理な状況で、タリバンの実効支配の拡大を横目で見ながら、段階的撤退を進めなればならないNATOのジレンマは、2021年8月のアフガン国軍全崩壊とカブール陥落という最悪の形で収束する。
この時期である。ロシアのクリミア併合が起きたのは。
2014年、ウクライナの東部、ロシア系住民の多いクリミア半島を、事実上併合したロシアと、アメリカNATOの間の緊張、特にそれを報道するメディアは、これを書いている現在、最高潮に達している。その詳細を述べることは、この論考の主旨ではない。
「クリミア併合が、再びNATOを結束させる機会を提供してくれた」。
当時、僕の旧知のNATO軍・政府関係者から “安堵”が伝わって来たことをここに記す。
War on Terror からWar on Human Rights へ
前回「その2」では、バイデンが一方的に宣言・実行した「無条件撤退」が、アメリカ自身の軍人たちをも裏切る愚行であることを述べた。それは、一緒に戦ってきたNATO諸国にとっても同じである。カブール陥落後、同国人とアフガン協力者たちを救出しようとした大混乱を見ればわかる。
「バイデン敗走」は、NATOへの拠出金を大幅削減する脅しをかけたトランプに加え、アメリカと他のNATO諸国の信頼関係に決定的なダメージを与えた。しかし、ウクライナ危機が象徴する旧冷戦の復活。このアンビバレントなダイナミクスと同時進行するのが、中国が参戦する新冷戦である。
「どっちの味方だ?テロリストの側か?」から、「どっちの味方だ?人権侵害の悪政の側か?」へ。
最近は、これに「(民主主義の)Like-mindedの側か?」が加わっているが、 “傷だらけの敗走”のアメリカが、その正当性を賭けて世界を分断する、新たな戦略の出現である。
以下、続く。
その2:アフガニスタンから見る新冷戦~タリバンは復活し、アメリカは「無責任に」撤退した
その3:新冷戦に必要な「分断」~敵はテロリストから人権侵害国家←今ここ
その4:「アフガニスタン人権戦争」に敗北したアメリカが露中に仕掛ける新人権戦争
その5:Japanification(日本化):北極圏の小国への示唆として(仮)