画像:Shtterstock アフガニスタン首都カブールAugust1.2021
画像:Shtterstock アフガニスタン首都カブールAugust1.2021

アフガニスタンから見る新冷戦~タリバンは復活し、アメリカは「無責任に」撤退した

米中露:新冷戦の中で、私たちはアメリカのための“地雷原”国家になるのか。それとも?〈その2〉

伊勢崎賢治氏(東京外国語大学教授/紛争予防と平和構築専攻科)が国際政治・外交・防衛について語るコラム。今回は、他の追従を許さない突出した主役であるアメリカの軍事基盤を根底から揺るがした、一人のアクターに焦点を当てる。

対テロ戦は「人権外交」から始まった

旧冷戦の終結のきっかけとなった1989年のアフガニスタンでの「ソ連の敗走」に話は遡る。

“共通の敵”ソ連を見据えることで制御されていた「軍閥政治」を復活させ、アフガニスタンは即座に内戦に突入した。

軍閥とは、パシュトゥーン人やタジク人といった多様な民族で構成されるアフガニスタンで、各民族のドンのような存在である。大小様々であるが、大きなものは9つ。それぞれ自分が国を支配したい、少なくとも需要な地位を占めたいという野望の、高度に武装した“政治家”である。大きなものは、一万以上の兵員を抱えていた。

軍閥どうしの武力抗争が始まったアフガニスタンは、ソ連侵攻時より増して荒廃の一途を辿る。そこに、「世直し運動」として、アフガン最大民族パシュトゥーンの貧困層から生まれたのがタリバンだ。

タリバンは、イスラム版ロビンフッドと考えればいい。その真摯な世直しの姿勢は、軍閥政治に辟易していた民衆の帰依を急速に勝ち取り、ついに1996年に政権を樹立する…と言えば聞こえはいいが、各村々が自警のために武装するのが当たり前の戦乱が常態化していたアフガニスタン。大小無数に存在する各地の武装勢力は、保⾝と既得利権に応じて誰に付けばいいかを天秤にかけ、帰依先をパタパタと変えていく。冒頭で、軍閥勢力は、民族ラインで結束していると記述したが、戦乱期の「帰依」は、このラインを軽々と超えるのだ。

ドミノ式の実効支配。これが急速なタリバン政権樹立の実態であり、それを軍事・財政面で後押ししたのが、アフガニスタンに親インド政権ができることを国是として阻止したいパキスタンである。

しかし、ほどなくして、政権の行政の運営に慣れていないタリバンは、「期待外れ」という民衆の感情を抑えるために恐怖政治を敷き始める。そして、女性への処遇を含めて、西側のメディアと「人権外交」による制裁の標的になってゆく。そして孤立する。

もしタリバン政権がこのままであったら、「中央アジアの問題児の一人」として、 国際社会は非難しつつも、ある程度、“放って”おいたかもしれない。

しかし、タリバン政権は、アメリカの在外施設にテロを始めていたウサマ・ビン・ラーディンらアルカイダの幹部に庇護を与えたのだ。タリバンの創始者であるオマールとビン・ラディンは、アメリカから支援を受け、ソ連と戦ったムジャヒディーンである。

そして、運命の2001年9月11日、アルカイダによる同時多発テロ。建国史上はじめて本土に攻撃を受けたアメリカは、即座にアルカイダを匿うタリバン政権に対して報復攻撃を開始する。

以上が、国連憲章五十一条が、加盟国に攻撃を受けたときだけ固有の権利として認める「個別的自衛権」の行使からはじまった対テロ戦の経緯である。

「不処罰の文化」を基盤に構築される民主主義

アメリカの報復攻撃は(卑怯な)空爆だけで、(勇敢に)地上戦を戦いタリバン政権を崩壊させたのは、かつてソ連と戦ったあの軍閥たちである。しかし、これは“かつて”と同じように「軍閥政治」の始まりであった。

かつてと少し違うのは、強大なアメリカ軍と、集団防衛(一締約国の敵は皆の敵とするNATO条約第5条)を発動したNATO軍の占領統治下で、新しい国家建設がはじまったことだ。しかし、この当時、それら多国籍軍がかろうじて統治するのは、首都カブールのみ。その他の地方は、それぞれの軍閥の「王国」状態で、暫定中央政府の閣僚として集合写真には仲良く収まっているが、隣接する軍閥どうしは武力衝突を繰り返している状態であった。

国家建設の障害は軍閥の、暫定中央政府の新国軍をはるかに上回る軍事力であり、だからこそ軍閥が保有する全ての戦争兵器(戦車、装甲兵員輸送車、口径100mm以上の火砲、そしてスキャッドミサイル)を無力化し、新国軍に移管する。部隊は出せないが親米国の面目躍如で、この役割に飛びついたのが、僕を政府代表として現地に送り込んだ日本だ。

この軍閥たちは、タリバン以上の戦争犯罪をおかしてきた連中だ。【人権侵害の「不処罰の文化」を推し進める悪魔の手先】という誹りを、アフガン国内外の人権団体から受けながら、僕は武装解除の交渉を進め、戦争犯罪者を政治家に変身させ、アフガン民主化プロセスに組み込んでいった。

選挙の実施は民主主義の定着の象徴であり、西側の我々を熱情的に駆り立てる。しかし、「現職はまだ元気そうなのに、なんでまた選挙するの?」というのが、無辜(むこ)なアフガン地方民の有権者意識だ。日本人も人のことを言える立場ではないかもしれないが、これが軍閥政治の縁故主義と汚職がはびこる土壌であり、国連を中心とする国際社会の支援で民主選挙をやればやるほど、アフガン社会は部族・宗派ラインで分断していった。

任期が支配する民主主義の戦争の敗北

「俺たちが武装解除すれば、タリバンが帰ってくる」。

武装解除を渋る軍閥の配下のある指揮官が僕に吐き捨て言葉だが、その後、それは現実のものとなる。

「タリバンに勝利した」という当時のアメリカ政府(CIAも含めて)・軍首脳を支配していた錯覚は、

一、同じように占領統治する泥沼化したイラクに戦力を割かなければならないアメリカ軍の逼迫した事情。

一、そして、そのイラクに向けて、【軍閥の武装解除が象徴するアフガニスタンの“民主化”】を、先行する成功事例として示したい。

一、なにより、それでブッシュが再選を賭けたアメリカ大統領選(2004年末)を有利に運びたい。

これらが複合的に作用した、政治的な、一種の思い込みである。

特に最後のものは、軍閥の軍事力がタリバン復活への抑止力になっていたことを愚かにも途中で気づき、武装解除を停止しようした僕のロビー活動を打ち砕いた。

タリバンの復活が、アメリカNATO首脳の間で「否定できない現実」として認識されるのは、武装解除が完了した翌年の2005年ごろからだ。

その後、カブールに引き籠っていたNATO軍の地方展開、ドローンをはじめとするアメリカ空軍力の進歩と配備、そしてアフガン新国軍・警察の急速な増強が進んだが、対テロ戦開始からブッシュ、オバマ、トランプ、バイデンと四人の大統領を跨いだ20年後の2021年8月15日。カブールは陥落し、全てのアメリカNATO軍は、完全に敗走する。新タリバン政権の樹立である。

戦後、国連が誕生して以来、「国際援助史上」もっとも国際支援を受けたアフガニスタンの民主化であるが、軍閥政治で分断された「ドミノ」は、再び、その帰依先にタリバンを選んだ。タリバンが「世直し運動体」であったことを忘れたツケである。

コアの兵力では7、8万に満たないとされる軽武装の民兵が、30万の重武装の新国軍+それとほぼ同数の警察部隊+ピーク時で20万近くまでなったアメリカNATO軍に勝利したのだ。人類が脳裏に刻むべき、この戦争の教訓は、4年という大統領の一任期が支配する戦争計画は、たとえそれが世界最強でも、悠久の時間の中で戦いを挑んでくる敵の前には、無力であるということだ。

責任(名誉)ある撤退のはずが

2011年、オバマ政権はパキスタンに潜伏していたビン・ラーディンを殺害し、対テロ戦に一つの区切りを付けたが、それはアフガニスタンからの「名誉ある撤退」にはつながらなかった。

その後も、タリバン開祖のオマールの後継者マンスールを、パキスタンでドローン攻撃によって殺害するなど、リーダー格の「断首作戦」を継続した。その一方で、名誉ある撤退のための出口戦略の一つとして、タリバンとの政治的交渉を模索し始める。

しかし、本来、交渉するのなら、相手の指揮命令系統を温存し、トップと意思疎通を図らなければならない。敵の組織と秩序を破壊したら交渉どころではない。とても戦略とは言えないオバマ戦略であり、この時から対テロ戦は別名「オバマの戦争」と呼ばれるようになった。

そして、タリバンとの交渉はトランプ政権に引き継がれる。トランプでさえ、「名誉ある撤退」=「責任ある撤退」として、撤退できる条件の模索にこだわった。その条件の筆頭は、タリバンに、アルカイダや「イスラム国」と手を切り、アフガニスタンを二度とアメリカを攻撃するテロリストの温床にしないことを確約させること。そんなこと、タリバンにとっては、条件ではなく、“努力目標”にしかすぎない。

交渉は、実質的に何も進展せず、バイデン政権に引き継がれ、そして2021年4月。同年9月11日までの撤退を一方的に宣言したのだ。「9.11」のウケを狙ったとしか思えない。

すぐに僕の元に、当時一緒に働いたアメリカ軍元幹部から「アメリカがこんな無責任な撤退をするなんて」というメールが来た。バイデンはアメリカの軍人さえも裏切ったのだ。

アメリカ国民の厭戦気分に応えようとしただけの決定だ。トランプヘイトで当選した手前、トランプの戦略をそのまま引き継ぐことはできなかったのだろう。タリバンからのコミットメントを確認しない、無条件撤退を選んだのだ。

 “地雷原”国家の日本人が認識すべきは、アメリカという交戦主体の政治は、それが国内政局の支持につながると思えば、軍事的な必然性を飛び越え、何の補償もなく、軍事的責任を放棄する、ということだ。まあ、当たり前のことであるが。

以下、続く。

その1:米中露の新冷戦~最前線の北極圏が生き残りをかける

その2:アフガニスタンから見る新冷戦~タリバンは復活し、アメリカは「無責任に」撤退した←今ここ

その3:新冷戦に必要な「分断」~敵はテロリストから人権侵害国家

その4:「アフガニスタン人権戦争」に敗北したアメリカが露中に仕掛ける新人権戦争 

その5:Japanification(日本化):北極圏の小国への示唆として(仮)