今年夏、経済界に先駆けて繊維業界が人権DDガイドラインを策定するとのこと。日本のアパレル産業が「人権」とどう向き合おうとしているのか、経済産業省生活製品課長 永澤剛氏(インタビュー時)にその最前線を伺いました。
◆インタビュイー:永澤剛経済産業省生活製品課長(梅田啓美課長補)
◆インタビュアー:菅野志桜里
繊維業産業連盟が人権DDガイドライン策定その背景は?
菅野志桜里(以下菅野): 他の業界に先駆けて、繊維業界が人権DDのガイドライン化に動き出しています。必ずしも「ビジネスと人権」のトップランナーというイメージではなかったので、ちょっと驚きでした。
永澤剛経済産業省生活製品課長(インタビュー当時/以下永澤): 1997年のナイキの児童労働問題(※1)、2013年のバングラの「ラナ・プラザ(RANA PLAZA)の悲劇」(※2)、そういう歴史的な経緯を経て、OECDでは衣服と履物の分野で人権DDのガイダンスを作るという流れがありました。それから、2020年3月にオーストラリア戦略政策研究所(ASPI)によるレポート(※3)でグローバル企業82社がウイグル強制労働をサプライチェーンに組み込んでいるという指摘があり、その年の夏ぐらいからパタゴニアやH&Mが新疆との取引をやめるというようなプレスリリースを出し始めました。その後、米国においいても、新疆ウイグル強制労働を問題視した規制強化が動き出していると。
日本の国会でも、議員の菅野さんなどが質問されたりしました。
各方面から注目を浴びて業界としても変わっていったのかと思っています。
菅野: たしかに身に着けるものは誰にとっても日常に組み込まれているので、その生産過程の人権問題は自分ごととして意識しやすい、だから注目もされやすいですよね。その注目を実務的な問題解決に落とし込む流れをつくったのが、昨年7月に経済産業省が出した「繊維産業のサステナビリティに関する検討会報告書」でした。そもそも繊維の国内市場はこの30年で約3分の2に縮小していて、しかもコロナでさらに縮小して。苦しいビジネス環境の中で、かつサステナビリティも頑張らなきゃいかんのですという報告書を出すのは結構チャレンジングだったんじゃないですか。
永澤: むしろサステイナブルをやらないと生き残っていけないというのがこの業界かなと思っていまして。「サステナビリティ」は繊維ファッション業界にとっては非常に重要なキーワードになっています。生地を売ろうとしても、この生地はちゃんとリサイクル素材で作っていますかとか、そういう話はとても多いんですね、今は。欧米、特にヨーロッパはだいぶ環境そして人権重視にシフトしていますので、それに合わせていかなきゃいけない。逆に言うと、きっちり対応しないと、環境だけじゃなくて、やはり人権も大きなリスクになっているということをしっかり捉える必要があります。繊維産業での喫緊の課題は環境ですが、人権についてもしっかり対応すべきという機運がここ一、二年すごく高まってきています。
菅野: その機運の高まりのなかで今進んでいるのが、日本の繊維業界独自のガイドライン作成の取り組みですね。
永澤: ILO(国際労働機関)にご協力いただいてDDガイドライン作りを進めています。具体的にどんな人権リスクがあるかということを提示して、それについてどう対応していくべきかを示すものです。特に念頭にあるのは、日本全国の繊維産地にある繊維企業の方々、中堅企業、中小企業も含めて、こうした人たちに対して、何をすべきかしっかりと分かりやすく説明できるようなガイドラインをつくろうということですね。
日本の繊維産業でも、良質な生地を海外のラグジュアリーブランドに売っているような人たちのなかには、かなり感度高く取組みを進めているところもあります。ブランド側の指定もあるので、いろいろな認証スキームを取っています。GOTSとか、テキスタイルエクスチェンジとかですね。
しかし、その他多くの企業はなかなかまだ何をやっていいか分からない。それこそ商売先であるアメリカとかフランスの企業に言われるがままのことしかやれませんというのでは悔しいじゃないですか。だからこそ私たちの側で、本来やるべきことをしっかり整理して、ILOと連携して策定したガイドラインできちんとやっていますとイニシアチブをとれるよう、業界全体で取り組んでいこうと。
日本固有の人権イシュー「技能実習生問題」を解決したい
菅野: 「本来やるべきこと」のなかでも優先順位が高いイシューはなんでしょうね。
永澤: 日本の固有の人権イシューは技能実習生問題です。これについてはしっかり取り組むということをガイドラインに明記する予定です。私も個別に、地方を回って、とにかく改善しましょうと訴えています。
外国人技能実習生が一部のエリアでひどい仕打ちを受けていると報道などでも指摘されていますので、それは繊維産業全体の課題として取組み、徹底的に違反事例をなくしていきたいと思っていますね。
菅野: 技能実習制度にはさまざま深刻な課題があるわけですけれど、とりわけ繊維産業が特徴的に抱えている問題点や課題はどんなところでしょうか?
永澤: 繊維産業の中でも、全体の8割以上を占めるのが縫製業です。業界団体は数多くあるんですが、業界団体に基本的には属していない人たちのところで違反事例が起きているという傾向が見られます。団体を通じてコミュニケーションをとるという従来の行政スタイルですとリーチできません。このため、私自身、できるだけ地方に行かせていただいて、講演などで直接お話する機会を持つように努力はしているんですが。
菅野: 講演ではどんなふうにお話をされていますか? 技能実習生への人権侵害の重大さ深刻さを自分事として感じてもらうのが難しいですよね。
永澤: 人権問題のリスクは、築き上げたブランドが一瞬で崩れるというところです。築城3年、落城1日みたいな世界だと。あなたはやっていないかもしれないけれども、あなたの下請けの人がやっていれば、せっかく築き上げたブランドが一気に壊れるリスクがあると散々言っています。あとは、アウトサイダーで確信犯的に人権侵害をやっているところがあるとすれば、何らかの形でメスを入れていく必要があるなと思っています。
また、とにかく業界全体として人権侵害を減らさないことには、特定技能制度という別の仕組みに移管することはなかなか難しいですよということは申し上げています。
業界としては人手不足が恒常化していますので、技能実習もそうですけど、特定技能というカテゴリーに繊維産業を追加してほしいという要望も結構出ています。そのためには、まずは技能実習での違反事例を減らすことを優先してもらって、その上で特定技能枠に入るという話も将来的には出てくるのかなと思いますね。
菅野: 今、技能実習制度の課題、そして特定技能制度を含めた制度設計について、法務省は大臣勉強会を始めていますよね。私も一度講師として伺ったのですが、技能実習は特定技能へと移管吸収していく方向がいいのかなと思っています。繊維という現場をもつ永澤さんは、どんなふうにみてますか。
永澤: 私は繊維しか見ていないから分かりませんけれども、国際貢献という政策目的でやっている技能実習では無理が生じるので、将来的には、特定技能に移行できればいいかなとは思いますね。今後の日本を考えるに至っては、外国人の労働力なしではとても産業は成り立たない。特に地方のものづくりなんかの現場はそうです。
ジェンダーイクオリティへの対応も必要だと感じる
永澤: 繊維産業というのは女性が多いんですよ。人権侵害の背景にジェンダーへの感度の低さも一因となっていると思います。技能実習生を含め女性が多いのに、女性の幹部はあまりいないので、経営層にジェンダーへ問題への意識が生まれにくいんです。そこで、繊維産業の検討会報告書には「ジェンダー平等」を入れました。
菅野: 女性比率の高さは特徴的なところですよね。女性比率は全業種で44%ですが、繊維は58%、アパレル・小売だと71%。
永澤: 売っているものも、半分以上は女性向けなので、そういう意味でぜひジェンダー平等を達成してほしいと思っています。
菅野: 消費者側も供給者側も女性が多いのに、経営幹部が男性ばかりという環境で、ジェンダー平等を実現する。なかなか大変そうですが、どんな策がうてるんでしょうか。
永澤: 具体的には、官民ラウンドテーブルの立ちあげですね。たとえば、アパレルファッション産業協会では女性活躍に向けて、各社の代表、人事部、部長クラスを集めて会議体をつくっています。そこにわれわれも一緒に入って議論をして、アパレル業界、ファッション業界としてジェンダー平等の取り組みを始めようとしていますね。
いずれ、もう少し上のレベルの団体もまきこんで、そういう議論をやっていきたいなと思っています。
菅野: 上位レイヤーまで一気に進めることへのハードルはどこにあるんでしょう。
永澤: 実現不可能なジェンダー平等の数値目標をつくられても困る、という意見がありますね。
菅野: でも、ファッションを通じてジェンダー平等とかサステナビリティとか価値を表現するカルチャーは、ずいぶん定着してきていますよね。
永澤: ファッションも最近ジェンダーレスになってきて、そういう取り組みは進んでいますよね。大手アパレルでも、相当LGBTQを意識したCMをやっている会社もあります。これから進むのではないかと思います。
ガイドライン策定後、ネクストイシューは普及と運用
菅野: ファッションで価値を表現しながら、その製造供給プロセスに女性差別や強制労働があってはいけないですよね。そこでサプライチェーンにおける人権DDが大切ということにもなっていくわけですが、方法は千差万別です。監査法人を使って第三者に現地で抜き打ち調査してもらいますという手法もあれば、オープンソースからAIでリスクを特定していくサービスを利用するところもある。人権DDを定着させていくためには実効性があり信用できる手法を示していく必要がありますが、どうすればいいんでしょうか。
永澤: 現実的にはまず人権DDガイドラインを踏まえて、各社が本来やるべきことをしっかりやるということ、というのが基本じゃないかと思いますね。その上で一次取引先をしっかりフォローしていくというのが現実的かなと思います。そうすれば業界全体のことになりますので。何でも外部に委託すればいいということではないし、かつ、そんなことができる人は少ない。中小企業が、これが一体どこの綿(わた)で、そこの綿の農場ではどうだったんだとかいうような調査を行うことは、なかなか現実的じゃないということですよね。
菅野: そうした現実をふまえて、今日本なりのガイドラインをつくっていこうということですよね。そうした日本のガイドラインが、米国やEUのルールづくりにもポジティブな影響を与えたり、さらには日本がもっと国際規範づくりのプレーヤーとして存在感を発揮できるといいのですが。
永澤: そうですね。繊維産業の人権について国内外から指摘される可能性は高いと思います。繊維産業における人権DDガイドライン策定もそういう問題意識でして、日本としてやるべきことはしっかりやっておく。あとはしっかり情報発信もする。今回つくるガイドラインもすぐ英訳してホームページに載せる。それだけじゃなくて、日EU政策対話など機会をとらえて積極的に発表していく。そういうことも模索していくのかなと思っていますね。
菅野: その外向きな積極的なスタイルは素晴らしいです!ガイドライン公開予定はいつになりそうですか。
永澤: 今年の夏中には公表できるんじゃないかなと思っています。もちろん作りましたというのは政策的には大事で、国際的にもどんどん言えますが、これをいかに浸透させていくかというのが次のフェーズです。解説書みたいなものをつくったり、相談窓口をつくったりというニーズもありそうです。しっかりと業界団体と連携して、進めていきたいと思います。
菅野: 各企業がガイドラインをどれだけ守っているかという評価主体や評価基準づくりも、今後の課題となりそうですね。
永澤: おっしゃるとおりですね。運用してみて、第三者的評価を加えてみるというのはあるかもしれませんし、そのあたりは今後の課題かもしれません。ですが、まずはガイドラインを作って、やってもらうというところですね。
菅野: この夏にも公表される繊維業界の人権ガイドラインが、他の産業にもグッドプラクティスとなって、日本の人権DDを牽引していくようなものになるといいですね。
最後に、個人のことを聞いてみました
菅野: 実は今回のインタビュー、目に見える政治の動きとは別に、現場をもつプロの行政マンが政治を支えている姿を伝えたいという思いがあったんです。そして、今日永澤さんにお話しを伺って、きっとその姿を読者の方に伝えることができると感じてます。そこで、最後に聞きたいのですが、永澤さんにとって公務員としての働きがいってなんですか。
永澤: どうだろう。ずっと楽しかったのです。若いときはちょっと大変でしたけどね、だけどそれ以降はもうずっと楽しいかな。やっぱりお金に代えられない仕事、ルールメークができる役人の仕事は面白いと思ってやってきました。
菅野: 最近やりがいを感じた仕事はなんですか?
永澤: ここ直近だと…コロナ禍の医療用ガウンが足りないとなったとき、海外から買い付けるだけでなく、国内で生産する、生産するにも原材料の確保とか、作ってくれる縫製所とか、協力体制が必要で、省内でプロジェクトチームをつくって国内で新たなサプライチェーンをつくりあげて、かなりの枚数を作ってもらいました。だから、ガウンが足りなかったというのは世の中そこまで大ごとになっていない。そういうことでいいんですよ。
(了)
●繊維産業連盟のガイドラインの先行例は、他業界のガイドライン策定の動きを促進するかもしれません。また、技能実習生問題にも影響を与える可能性もあります。永澤課長が「技能実習生への人権侵害は許せない。日本が嫌いになって帰国するかもしれない」と熱く語ったことが印象的でした。
最後に「ルールメイキングできる役人の仕事は楽しいと思ってずっとやっている」と言っていた永澤課長。昨今、国家公務員の人気が落ちているという話をよく聞きますが、前向きに取り組んでいる人が多いことも伝わるといいなと思います。(The Tokyo Post Editor)
脚注
(※1)1997年、アメリカのスポーツメーカーNIKEが製造委託するインドネシアやベトナムの向上で児童労働や、少女たちに対する日常的な強姦、劣悪な状況での長時間労働が発覚し世界的な不買運動を引き起こした。連結売上高は26.1%の減少となった。
(※2)2013年 バングラディッシュで、縫製工場が複数入っているビルが崩落し、死者1,000人以上、負傷者2500人以上を出す事故が起こった。ビル名から「ラナ・プラザの悲劇」と呼ばれる。このことで国際的にファストファッションの労働環境に批判が起きた。
(※3)2020年3月オーストラリア戦略政策研究所(ASIP)が調査報告書『UYGHURS FOR SALE, ‘Re-education’,forced labour and surveillance beyond Xinjiang(日本語: 売り物のウイグル人–新疆地区を越えての「再教育」、強制労働と監視)』を発表。中国ががウイグル人を強制労働させており、グローバル企業82社のサプライヤーがそのサプライチェーンを利用していると指摘。中国Apple、ナイキ、BMW、Amazonなどにも指摘している。