菅野志桜里
菅野志桜里 The tokyo Post編集長

グローバルダイニング“勝訴”が意味するもの。緊急事態下の社会を変える「判決」を読み解きます

新型コロナ感染拡大中の2021年、東京都から営業時短命令を受けたグローバルダイニングが、命令は違法として、都を訴えた裁判について紐解く。今後の行政、司法、立法の三権へのメッセージが込められた重要な判決だ。そして判決の報道のされ方についても疑問符がついた。『The Tokyo Post』編集長・菅野志桜里が判決を解説し、提言する。

関連記事:新型コロナ対策の時短命令をめぐり都を訴えた違憲訴訟の判決が5月16日 東京地裁

グローバルダイニング訴訟、東京地裁の判決を称えて

2022年5月16日、グローバルダイニング訴訟において東京地裁は「本件時短命令は違法。ただ、違法な命令を出した小池都知事に過失までは認められない」という重要な判決を出しました。

緊急事態にありがちな行政による過度の行動制約をチェックし、手遅れになる前にタイムリーな判断を下して、人々の自由と暮らしを守る。

緊急事態における裁判所の役割を果たした立派な判決だったと思います。

速報で消費されてはいけないニュースですし、無意味な速報競争が複数の誤報を生んだことは周知の事実。1日経った今、きちんと振り返ってみましょう。

【判決の結論】

あらためて、判決の結論をできるだけ正確に短く要約すると次のようになります。

グローバルダイニングに対する4日間(2021年3月18日~21日)に及ぶ営業時短命令は、特措法45条3項が求める「特に必要があるとき」の要件を満たさず違法である。ただし、違法な命令を出した当時の小池都知事に過失があるとまではいえないので損害賠償は認められない。

【判決の意義】

今回の判決の最大のポイントは、「特に必要があるとき」といえるかどうかについて、①どういう態度で、②どういう基準について、③どういう要素をあてはめて検討すべきか、という規範がたてられたことです。

つまり、命令を検討する自治体は①慎重な態度で、②「不利益処分を課してもやむを得ないといえる程度の個別の事情」があるかどうかを基準に、③㋐そのお店が実施していた感染防止対策の実情やクラスター発生の危険の程度、㋑その地域の感染状況や医療提供体制の逼迫状況、㋒その他の事情などの要素を個別具体的にあてはめて、当該事案について「特に必要があるとき」といえるのかどうか検討すべきである。

これが今回の判決によってたてられた規範です。

この判決によって、少なくとも今後は各自治体がこの規範を意識せざるをえなくなります。有識者が「飲食を規制して、人流を抑制して、感染を抑え込もう」と提言した場合でも、一般論としての必要性が、個々の命令を適法化するわけではない。個別の命令には個別の事情が必要であり、慎重に検討しないと最後違法の誹りを受けるのは結局自治体である。こういう認識が共有されたことには、素晴らしい意義があります。

また、命令は違法なのに過失なしとした理由についてですが、「当時初めてのケースであって参考にできる規範がなかった以上、違法な命令を出してしまった小池都知事に過失まで認めるのは酷」、としています。もう少し正確に記せば、「違法な命令を差し控えることを当時の小池都知事に期待するのは無理だった」、ということです。裏返せば、今回の判決で参考にできる規範を出したんだから、これからは命令の適法性をきちんと判断しなさいよ。今後首長が違法な命令を差し控えずに発出すれば、過失あり損害賠償責任ありとなりますよ、気を付けてくださいね、と示唆しているわけです。

今後の行動規制の在り方に、大きな影響を与える判決であることは間違いありません。

【判決から浮かび上がる今後の課題】

とはいえ、今回の判決から浮かび上がる今後の課題もあります。

むしろ、ここからが勝負です。

1:裁判官の積極性

まずは第一に、「今回の裁判官はよかったが、次の裁判官もよいとは限らない」という問題です。今回の地裁判決は、コロナ禍における行政の過度な行動規制を「タイムリーに」「行政に忖度せず違法」と判断した至極まっとうな判断。ただ、次の裁判官が「できるだけ判断を先送りして」「違法の判断をなるべく避けたい」というタイプの消極的な裁判官にあたらない保障はありません。また、今回の裁判官も憲法問題に関しては消極的な態度に終始していました。緊急事態において、「タイムリーに」「権利救済をはかる」積極的な司法制度を整備することは極めて重要な課題だと思います。

2:「行政の違法性」を問う訴訟提起

第二に、「そもそも訴訟提起のハードルが高すぎる」という問題です。今回、命令の取り消しを求める訴訟であれば、違法=取消=原告勝訴だったはず。でも既に緊急事態宣言とそれに伴う命令が終了していたため取消訴訟が認められず、損害賠償請求という形式でしか違法性を問うことができなかったのではないでしょうか。だから、違法だけど請求は棄却=被告勝訴という形式になってしまいました。あわせて、こうした社会的に影響の大きい裁判を個々の原告に背負わせることは、あまりにハードルが高すぎます。私人間の裁判とは違い、行政の違法性を問うような裁判については、もっとハードルを下げ、類型や原告適格を柔軟にすべきことも課題です。

3:報道の在り方

第三に、「メディアが速報に走り過ぎて、誤報になってしまった」という問題です。たしかに裁判用語は難しいですが、少し事前に準備すれば、今回の裁判の焦点は「本件命令が違法かどうか」であって「損害賠償が認められるか否か」ではない、ということくらいは分かるはず。そして、そこが大事だと理解していればスピードにこだわって誤報をうつようなことはなかったはず。今回を契機に、大事なことを“15文字”に凝縮する限界も含めて、ニュースの在り方をみんなで考えていくべきでしょう。

4:そもそも国会は何をやっているのか

第四に、「それにしても国会は何をやっているんだ」という問題です。そもそも裁判所が裁判を通じて規範をたてないと判断できないようなレベルの雑な特措法に仕上がっていることの責任は、第一義的には国会にあります。そして、さらにその原因を突き詰めると、最初の特措法改正の際、国会での審議すら始まる前に、与野党の国対委員長間で落としどころが決まっており、実質的な議論抜きに成立したという深刻な問題に行き当たります。もちろん、責任は国対委員長だけにあるわけではなく、そういう国対密室政治を是正できる立場にありながら放置してきた国会議員全員の問題でもあります。私自身、こうした国対政治の問題を指摘し、そのプロセスを含めて特措法に反対はしたものの、結局是正することができなかった責任の一端を担っています。

緊急事態を統治するきっかけに

2020年4月、コロナ禍で最初の緊急事態宣言が出されたとき、弁護士の友人たちから「裁判の期日がどんどん取り消されてる」と連絡を受けました。何ともいやな予感がして最高裁判所事務局に問い合わせたら、内部通知を出しているとのこと。その通知には、国の一機関である裁判所は、感染拡大防止に最大限協力すべきだから、業務を最小限に絞ると書いてありました。

本当に暗澹たる思いになったことを覚えています。緊急事態においては、見通しのたたないなかで国民の命と安全を守るため、行政は過度な行動規制をかけがちになる。だからこそ、裁判所は独立した立場で最大限機能して、行政の行き過ぎをチェックし、国民の権利を守らなければいけないはずです。しかしあろうことか、日本の裁判所は「国の一機関として協力するため、業務を最小限にする」とのこと!

さすがにまずいと思ったのか、2回目の宣言以降はこうした通知は出なくなりました。しかし、裁判所が最初の緊急事態宣言時に自らの最大の仕事を放棄して自粛という判断をした事実は消えません。緊急事態においてこそ、裁判所がスピード感と責任感をもって国民の暮らしと自由を守らなければいけない、というこの当たり前をどう伝えたらよいのか、逡巡していました。

そんななか、今回の違法判決のもつ意義は本当に大きい。そしてその判決を引き出した、原告や弁護団やその活動を支えたクラファン参加者など関係者の行動は素晴らしい。

このグローバルダイニング判決を契機に、緊急事態において、行政にどこまで力を与えるべきか、その力を統制するために国会や司法、そして第四の権力であるメディアはどう動くべきか。

緊急事態を統治するための国民的議論を提供するプラットフォームとして活動を広げていきながら、真摯にこの問いに向き合っていきたいと思います。