画像:Shutterstock ノルウェーのトナカイ
画像:Shutterstock ノルウェーのトナカイ

「Japanification(日本化)を警戒せよ」新冷戦の戦場となる北極圏の小国への示唆

米中露:新冷戦の中で、私たちはアメリカのための“地雷原”国家になるのか。それとも?〈その5〉

伊勢崎賢治氏(東京外国語大学教授/紛争予防と平和構築専攻科)が国際政治・外交・防衛について語るコラム。新冷戦の構図を世界が注視するウクライナ問題をはじめ、武力衝突の緩衝地帯となっている緩衝国家の視点から読み解く。

ウクライナの軍事緊張が高まる最中で

緩衝国家(Buffer State)という専門用語がある。

敵対する大きな国家や軍事同盟の狭間に位置し、武力衝突を防ぐクッションになっている国である。その敵対するどちらもが、このクッションを失うと自分達の本土に危険が及ぶと考えるため、軍事侵攻され実際の被害を被る可能性が、普通の国より格段に高いとされる。

この論考を認めている現在、【アメリカ・NATO】vs【ロシア】の軍事緊張が高まるウクライナがその一例である。

ヨーロッパの緩衝国家が生き延びるために

本土が戦場となることを避けたい緩衝国家は、生き延びるために色々と工夫を凝らす。

創立以来のNATO加盟国でありながら、デンマークは本土(グリーンランドを除く)にアメリカ軍の駐留を許さない方針を貫いてきた。主権国家として独自の軍隊を持っているが、その領域の中にあえて「非武装地帯」を設けることもある。同じNATO加盟国であるノルウェーは、ソ連との国境地帯をそうしてきた。

スウェーデンとフィンランドは「中立」を国是に、EU加盟国でありながら軍事同盟であるNATOとは距離を置いてきた。特にフィンランドは、ソ連/ロシアと「第三国の侵略に相互の領土を使わせない」友好・協力・相互援助条約を締結することで、資本主義と民主主義を維持してきた。この“ソ連寄り中立”の手管は、フィンランド化(Finlandization)と呼ばれる。

緩衝国家のこのような「伝統」は、2014年のロシアによるクリミヤ併合後、劇的に変わりつつあり、ノルウェーに起きている変化は、「その4:アフガニスタン人権戦争」に敗北したアメリカが露中に仕掛ける新人権戦争で言及した。フィンランド化のフィンランドでも、戦後からずっと存在するNATOに加盟するか否かの国内政局の分断が、現在進行する「ウクライナ危機」によって更に加速している。

緩衝国家内で起きる二極化は必然

NATO加盟国である緩衝国家、もしくは加盟国ではなくても「中立」を国是としてきた緩衝国家各々の国内政局は、決して一枚岩になりえない。

NATO加盟の側に付くか、ロシアを刺激しない側に付くか、それらの国に共通する国内政局の分断とは、次のようなものになるだろうか。

「NATO加盟に付く側」の理由は、なんと言ってもクリミヤ併合に代表されるロシアの脅威である。サイバー攻撃、そして、海域、空域で繰り返されるロシアの侵犯行為。もっとも、こういう脅威の累積はNATO主催の合同訓練などへの参加がロシアを刺激してきた相互作用の結果でもあるが、欧州というブロックがあるからこそ共有される深度の高いセキュリティ情報への渇望が、その理由の源泉となっている。

「ロシアを刺激しない側」の理由は、刺激した結果、ロシアが報復措置に出ること。つまり、ここでも同じロシアの脅威である。約束が違うと激昂したロシアは、領域侵犯も増加させ、国境付近への兵力も増強するから、当然、それに呼応して国防費を増額させなければならない…教育や福祉に予算を割きたいのに。

そして、“ナチスからの解放者としてのソ連”のナラティブを引きずるノルウェーの古い世代の存在を含め、戦前から続くロシアとの民族的、文化的交流。そしてエネルギー資源の依存など経済的な友好関係を喪失することで発生するコストへの勘案である。

更に、隣人ロシアに対して「敵じゃない」外交を国是として貫くことで、フィンランドの首都ヘルシンキも、歴史的に国際紛争の「調停者」としての同国の商標を確立する場になってきた。パレスチナ問題のオスロ合意などで代表される、世界にも寄与する“平和大国”の面目躍如としてきたノルウェー然り、小さな緩衝国家としては、喪失し難い外交資産である。

最後に、国内、特にロシアとの国境付近に、少なからず少数派として存在するロシア語を母国語とする人口の存在がある。過去ロシアは、こういう少数派に対して、結果として分離独立運動に顕在させる支援を行い、迫害されたそれらの主体からの “要請”を軍事侵攻の口実にしてきた経緯がある(言うまでもなく、傀儡政権を樹立させる代理戦争は、アメリカの十八番でもある)。つまり、主権国家として国のカタチを崩壊させるリスクへの懸念である。

以上、NATO加盟への賛否に対する世論の動向は、当然、国内外で起きるロシア絡みの事件の喧伝によって変化してきた。脅威を常に政局化(=安全保障化Securitization)するのが、国内政治である。

プーチンが言う“NATOの約束”…破ったのはどちら側?

さて、冷戦終結後に新たな緩衝国家になった旧ソ連邦の国々はどうであろうか。

上述のロシア系住民へ傀儡化の代表例が、2014年のクリミヤ半島の併合を契機に、現在、冷戦終結後、最大規模の東西対立の舞台になりつつあるウクライナである。

いくらロシア領内とはいえ、ウクライナとの国境に10万を超える兵力を集中させ、ロシア側の軍事同盟CSTOの一員でもあるベラルーシと弾道ミサイルまで持ち出して合同軍事演習を実施するのは、国連憲章で厳禁する武力による威嚇と捉えることができる。

一方でロシア側の言い分として、「1インチであろうと東方進出しない」という冷戦終結期の“約束”を破ってきたのはNATO側だ、というのがある。はたして、真偽のほどは?

1989年11月のベルリンの壁崩壊。その直後の1990年から “交渉”が始まるのだが、ソ連邦の最高指導者ゴルバチョフと、父ブッシュを含む西側陣営の首脳は、その後に起きる東ドイツの崩壊にはまだ時間がかかるという前提で、近未来の安定を模索したようだ。

それら首脳レベル、そして実務者レベルの“交渉”の様子はどうだったか。伝え聞くのは、西側が示したゴルバチョフへの“思いやり”だ。

それはそうだと思う。東西冷戦の終結は、別に西側がソ連を戦争で打ち負かした結果ではない。この連載で扱った1989年2月のアフガン戦敗退など歴史的事件と相互作用があるだろうが、冷戦終結は、基本的にソ連の内なる変化の結果である。であるから、この時の交渉は勝者が敗者に迫る講和でない。

ソ連内部で起こっている急激な、西側にとって好都合な変化が、ソ連共産党大会における強硬派によって損なわれないように、ゴルバチョフを気遣う。それが、西側の姿勢であった。

アメリカ、ジョージワシントン大学のこのアーカイブ(https://nsarchive.gwu.edu/briefing-book/russia-programs/2017-12-12/nato-expansion-what-gorbachev-heard-western-leaders-early#.YgxV3xMDJc5.twitter )には、「東西ドイツの統一をスムーズに運ぶために、NATOは東方進出しない」、そして、例えばソ連邦のポーランドが「NATOに加盟しない」ことまで言及する非公式な会議内容(日本流に言うと“密約”になるのだろうが)が記録されている。

一方で、同じアメリカ、ブルッキングス研究所のこのサイト(https://www.brookings.edu/blog/up-front/2014/11/06/did-nato-promise-not-to-enlarge-gorbachev-says-no/ )では、ずっと後になって、当のゴルバチョフが、「NATOの東方進出については、何の合意も存在しない。しかし、その後のNATOの拡大は、1990年の交渉を支配した“精神”に反する」と述懐している。

「約束」を破ったのは、どちらか。読者の皆さんの判断にお任せする。

いずれにせよ冷戦終結期において、アメリカ・NATO側には旧ソ連邦の国々、そしてロシアをも含む“母なるヨーロッパ”の安定に向けて、NATOを軍事同盟から開放的な政治外交的フォーラムへ変身させるビジョンが存在したことは、事実である。

日本より高待遇な旧ソ連邦…日本人は認識していない

繰り返すが、現在ウクライナ国境に10万以上の兵力を集中させるロシアは、武力による威嚇を厳禁する国連憲章に抵触している。

そして、ウクライナを始め旧ソ連邦の国々が、NATOに加盟するか否かを主体的に決めるのは、主権国家としての固有の権利の行使である。その行為は、何人にも侵されてはならない。

しかし、だ。

それをNATO側が受け入れるべきか否かは、別の問題である。NATO側が、「安定」をどう捉えるか。それを熟議した上での判断の結果、加盟を認めなくても、それは主権国家の主体的な権利への侵害ではない。

そして、バルト三国やポーランドにNATO有志軍*を置き「トリップワイヤー化(参照「その1:米中露の新冷戦~最前線の北極圏が生き残りをかける」)することは、ロシアから見れば時間をかけたものであるが、NATOによる武力による威嚇である。

*イギリス、フランス、カナダ、アメリカなどで構成される通称EFP:Enhanced Forward Presence「前方プレゼンス」

ここで、日本人がしっかり認識すべきは、NATOはトリップワイヤー化を推し進めるにあたって、旧ソ連邦の国々に、「互恵性」を基調とするNATO地位協定と同じものを与えていることである。

日米地位協定の日本にはない、完全に法的に平等な地位協定によって、それら旧ソ連邦国の主権は、アメリカNATO軍の「自由なき駐留」を支配しているのだ。

アメリカの同盟国を気取る日本人が夢想さえできない“高待遇”を旧敵国に与え、東方進出してきたのがアメリカ・NATOなのである。

新冷戦の戦場となりつつある北極圏への教訓“日本化”

この連載では、アフガニスタンで「人権戦争」に敗北したアメリカが、対ロシア・中国をターゲットに世界を二分する「人権戦争」を主導する新冷戦の基本構造を解き明かしてきた。現在進行するクリミヤ危機でも、中国はロシアとの更なる結束感を醸し出している。

その中国が参戦する新冷戦の新たな戦場になりつつある北極圏において、ウクライナ危機を象徴とする旧冷戦構造の復活に揺れるノルウェー、アイスランドなどの緩衝国家の未来。それに、同じ緩衝国家である日本がどういう示唆を与えられるか。このテーマために、僕が上記2カ国の研究機関、大学に招聘されたことが、この連載のきっかけとなった。

その一つ、ノルウェーの平和学のメッカ、オスロ国際平和研究所で行った講演で、国際関係論の学術用語にするべく僕がつくり、披露した「概念」がある。

「その4:アフガニスタン人権戦争」に敗北したアメリカが露中に仕掛ける新人権戦争で言及したように、戦後初めてアメリカ攻撃型原子力潜水艦の寄港を許すなど急激にトリップワイヤー化が進む“平和大国”ノルウェーに向けて、これからどうなっても日本みたいになるな、という思いを込めて。

Japanification: A symptom of “buffer state syndrome” that is highly securitized to the extent of equalizing sovereignty abandonment and patriotism.

【日本化】大国が操る脅威の安全保障化に翻弄される緩衝国家に特有の症候群の一つであるが、国際法上はあり得ない、その大国への主権の放棄が、自国への愛国心に昇華する末期症状。

アメリカへの「依存」が、国内政局において、愛国心の発露となるケースは日本だけではない。しかし、「主権の放棄」がそうなるケースは日本しかない。日本は緩衝国家ではなくて、自分の意思のない緩衝“材”国家なのだ。

“地雷原”国家、日本を憂う

ケースとして、緩衝“材”国家は、日本しか見当たらないが、日本の実情は、それ以下かもしれない。

戦後、アメリカの原子力政策に支配されて、仮想敵国に向けて海岸線に原発を建設してきた日本。

故人であるが、原子力産業の中枢にいて、経団連の幹部まで勤めた友人が、生前に僕に語った言葉に、原発は自分に向けた核弾頭、というのがある。

これをボクシングにたとえると、体の大きなアメリカをセコンドに持つも、9条で後ろ手に縛られたまま、自ら腹を掻っ捌いて臓物を露出して対戦者と向き合っている。この臓物を引っ込めて傷口を縫うことは未来永劫できない。

そして、臓物が狙われたら真っ先に逃げるのはセコンド(アメリカ)である。 3.11の東日本大震災の時、横須賀の米空母ジョージ・ワシントンが真っ先に逃げ出したように。

除去が不可能な究極の地雷が埋設されたアメリカのための緩衝地。緩衝国家でもなく、緩衝“材”国家でも言い足りない、ただの“地雷原”国家、日本。

(「米中露:新冷戦の中で、私たちはアメリカのための“地雷原”国家になるのか。それとも?」了)

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その1:米中露の新冷戦~最前線の北極圏が生き残りをかける

その2:アフガニスタンから見る新冷戦~タリバンは復活し、アメリカは「無責任に」撤退した

その3:新冷戦に必要な「分断」~敵はテロリストから人権侵害国家

その4:「アフガニスタン人権戦争」に敗北したアメリカが露中に仕掛ける新人権戦争 

その5:「Japanification(日本化)を警戒せよ」新冷戦の戦場となる北極圏の小国への示唆 ←今ここ