2022年5月9日大統領選挙が行われるフィリピンで、大統領候補として「独裁者の息子」と「暴君の娘」のペアが人気を集めるという外からは理解しにくい状況が生まれている。
フィリピン大統領候補フェルディナンド・“ボンボン”・マルコスとは
世論調査で圧倒的な支持を集めるのは、かつて戒厳令を布告して反体制派を弾圧し、「ピープルパワー」によって放逐されたマルコス元大統領の長男フェルディナンド・マルコス(通称ボンボン)元上院議員(64歳)。そして、大統領選挙とは別の独立した選挙でありながら、共闘して選挙運動をするのが、副大統領候補でドゥテルテ現大統領の長女サラ。ダバオ市長を務めている。
ボンボンの父マルコス元大統領は圧政を敷き、反政府運動を激しく弾圧、数多くの市民が犠牲となった。これに対して人々の不満が募り、1986年2月には大衆が宮殿になだれ込むなか、ハワイへの亡命に追い込まれた。怒れる市民が乱入した宮殿に妻イメルダの靴300足が残されていた光景を記憶している人もいるだろう。ボンボンはこうした両親の圧政や不正蓄財に関して謝罪の言葉を口にしておらず、今も海外に隠す資産については口を閉ざしている。フィリピンの大統領府行政規律委員会は2016年、マルコス一家の不正蓄財は最低でも10億ペソ(約23億円)と公表している。
晴れない学歴詐称の疑い
1957年、マニラに生まれたボンボンは、小学校教育を終えてからイギリスの寄宿学校に送られた。その後、オックスフォード大学に進学し、本人は「卒業した」と語っているが、受け取ったのは「特別証書」で学士号ではない。このため学歴詐称の疑いが晴れていない。
父のマルコス政権下の1980年、23歳でマルコス家の故郷であるイロコス・ノルテ州の副知事となり、83年には知事となったが、86年の革命で両親と共に国を追われた。89年に父マルコスが死去すると、当時のコラソン・アキノ大統領はマルコス一家の帰国を容認。91年に帰国したボンボンは下院議員に当選。98年には州知事に返り咲き、2010年に上院議員に選ばれた。2016年には副大統領選挙に出馬したが、この時ボンボンを破ったのが現職の副大統領で、5月の大統領選挙に名乗りをあげているレニー・ロブレドだ。麻薬撲滅と称して市民に銃を向けることを厭わないドゥテルテ大統領を公然と批判する人権派弁護士のロブレドだが、今回の大統領選挙ではマルコスに大きく水を開けられている。
ボンボンへの支持を押し上げている一因が、共闘する副大統領候補のサラ・ドゥテルテだ。当初、ボンボンを上回る人気とされたサラが、父親の期待に反してボンボンと手を組んだ理由ははっきりしない。「マルコスの開発独裁時代へのノスタルジー」といった解説はあるが、元独裁者の息子と乱暴な政治運営で海外から非難を浴びる現職大統領の娘の組み合わせが人々の支持を集める理由は、なかなか海外からは理解しにくい。
そもそも立候補する資格があるのか否か
2人の共闘とどう関係するのか不明ながら、ボンボンには人権団体から少なくとも5件の「立候補資格取り消しを求める申請」が出されている。フィリピン選挙管理委員会は1月、1件の申請を却下したが、あと4件の結論は出ておらず、裁定が出たあとも、不服ならば裁判所に訴えることができるため、いつ決着がつくのかわからない。
資格取り消しを求める理由は、ボンボンが過去に脱税で有罪判決を受けたから、というもの。
資格問題の結論が投票日前に出るのかどうかわからないため、フィリピンメディアでは「もし資格が取り消されたら何が起きるのか?」という議論が起きている。投票用紙にマルコスの名前が印刷されたあとで立候補資格が取り消された場合、「投票日の正午までに立候補者が死亡もしくは資格を失った場合、苗字が同じであれば代わりを立てても良い」という規定に従って、妻か妹が差し替え候補になれるという。代わりが立たなければ、マルコスに投じられた票は無効票となる。
もしもボンボンが当選したあとで立候補資格が取り消されたら何が起きるか? その場合、いくつかのシナリオが考えられるが、大統領選挙で次点となった候補ではなく、副大統領が繰り上げになることもある得るという。サラはこれを狙っているのか? 大統領である父親はこうした判断に何らかの影響力を及ぼすのか?
ボンボンとロブレドのほか、大統領選挙には、俳優経験のあるマニラ市長のイスコ・モレノ、元プロボクサーでマルコスの不正蓄財とドゥテルテ政権の政治手法を批判する上院議員のマニー・パッキャオらが名乗りをあげている。これから3ヶ月の間に何が起きるのか、フィリピンから目が離せない。