故エリザベス2世(2008年4月ロンドン)画像:shutterstock 
エリザベス2世(1926年4月21日 - 2022年9月8日)画像:shutterstock 

英王室の代替わりが「英連邦王国」にもたらす変化

エリザベス女王の死によって、「コモンウェルス」から離脱して完全独立を果たそうという旧植民地の動きが加速するかもしれない。

「完全な共和制へ移行」の是非を問う住民投票

カリブ海の島国アンティグア・バーブーダで、ガストン・ブラウン首相は、イギリスのチャールズ3世を新たな国王として認める文書に署名した直後、英国王を君主として戴く現在の体制の是非を問い、完全な共和制への移行を決める住民投票を3年以内に行うと発表した。同国は、イギリスの国王を君主とする14の「英連邦王国(コモンウェルス・レルム)」のひとつ。

ガーディアン紙によると、ブラウン首相は、共和制を目指すのはイギリスへの敵対行為ではなく、純粋に独立を完全な形にするための最終ステップにすぎないと説明している。エリザベス女王の三男であるウェセックス伯爵エドワード王子が今年4月に同国を訪問した際、ブラウン首相は共和制移行への協力を依頼したが、エドワード王子がふざけ半分に「メモを取っていなかった」と発言したことで「傲慢だ」と批判されていた。

1952年にリーワード諸島が植民地支配から解放された時に、アンティグア・バーブーダも独立プロセスを開始し、1981年に独立を果たした。アメリカCBSニュースによれば、ブラウン首相はさらに一歩進めて、南隣のバルバドスが去年11月にエリザベス女王を君主の座から外して世界で最も若い共和国になった例に続こうと考えているという。

「コモンウェルス・レルム」それぞれの温度差

アメリカCBSニュースは、女王の死が「コモンウェルス・レルム」の未来に関する議論をあらためて活性化していると報じている。「コモンウェルス・レルム」には、カナダやオーストラリア、ニュージーランド、ジャマイカなどが含まれる。

オーストラリアでは、アンソニー・アルバニージー首相が就任翌月の今年6月、共和制移行のプロセスを検討するための初の大臣を任命したばかりだった。しかし、エリザベス女王の死去に際し、今は性急な動きをするべきではないと考え、最初の任期中は住民投票を実施することはないと発言した。つまり、次の総選挙が行われる2025年まで住民投票は行われない。

ニュージーランドでは、ジャシンダ・アーダーン首相が、自分が生きているうちに共和制に移行すると信じるけれど、それは近い将来のことではないと語っている。ニュージーランドには取り組まなければならない課題が他にたくさんあり、共和制は緊急性のある課題ではない、とも。加えて、ニュージーランドとイギリス王室の関係は「一層深まっていく」とも語った。

ジャマイカは2025年までに住民投票を予定している。今年3月、ジャマイカを訪れたウィリアム王子(現皇太子)夫妻に対し、アンドリュー・ホルネス首相が完全独立の意向を伝えていた。夫妻の滞在中、首都キングストンにある英高等弁務官事務所前では、イギリスのかつての奴隷貿易に対する謝罪と補償を求めるデモが繰り広げられた。

エリザベス女王の死が歴史の一頁をめくる

「女王が去り、旧植民地はイギリスとの関係を再考する」と題する記事で、ニューヨークタイムズ紙は、各地でさまざまな議論が起きることを予測しつつ、ジャマイカ生まれでカナダで博士号を取った研究者の言葉を紹介している。「君主制は女王と共に死ぬか?」事はそう単純ではないにしろ、「今は対話の時だ。会話が必要とされている」。

バハマやベリーズでも、遠く離れたイギリス王室との関係をどうしていくべきか、このタイミングで議論は再び熱くなっているという。

さらにSNSでは、王の権威の象徴である王笏(おうしゃく)に付けられた世界最大のダイヤモンドである「アフリカの偉大な星」は南アフリカに返還されるべきだという意見が盛り上がり、インドでは、インドから奪われたとされる女王の王冠の「コ・イ・ヌール・ダイヤモンド」の行方についての議論が再燃している。

英連邦統一の象徴であったエリザベス女王の死は、パンドラの匣を開けたのかもしれない。