ニューヨーク,2022.AUGUST 撮影:笹野大輔 ©The Tokyo Post
ニューヨーク,2022.AUGUST 撮影:笹野大輔 ©The Tokyo Post

ニューヨーカーにとってのファッション~あなたのお好きに

『リベラルな街から』
『リベラルな街から』は、ニューヨーク在住のジャーナリスト・笹野大輔氏のエッセイ連載です。ニューヨークのカルチャーシーンやニューヨークから見える日本の姿について書き下ろします。

意外に思われるかもしれないが、ニューヨークにスーツ姿は少ない。ここまで少ないと、スーツを着ている人は、“信用がない職業だから信用してもらうために”スーツを着ているのではないか、とさえ感じる。ニューヨークでスーツを着ている人たちは、ほとんどが金融系だ。もちろん他にも“信用してもらいたい職業”の人がスーツを着ていることだろう。それでも年間を通じてニューヨークでは、朝夕のラッシュアワーに地下鉄内にスーツ姿の人は1割くらいしかいない。つまり、あとの9割の人は自分の好きなファッションでいる。

ニューヨークの人たちにとってファッションとは

ニューヨーク2022.AUGUST 撮影:笹野大輔 ©The Tokyo Post
ニューヨーク2022.AUGUST 撮影:笹野大輔 ©The Tokyo Post

ニューヨークの人たちにとってファッションは「自分がどうありたいか」という感覚が強い。年齢によって着る服が「ふさわしくない」と批判されることもなければ、社会人らしい格好なるものもない。就職するまで、結婚するまで、といった区切りもなければ、女性であればスカートの丈が短すぎとか、胸元が開きすぎとかもない。どんな服でも着たければどうぞ、と自由だ。

歳を取ったら着る服はむしろ派手な色のほうがいい、と日本人からよく聞く。しかもなぜか「欧米では」という根拠まで付けて。しかし何歳でも好きな服(色)を着ているニューヨークで「高齢になったら着られる服(色)」という考えは聞いたことがない。日本では他人に「どう思われたくないか」という受動的な意識で自分のファッションを決める人が多いからこそ「歳を取ったら派手な色…」という言説が胸に刺さるのだろう。

ニューヨーク2022.AUGUST 撮影:笹野大輔 ©The Tokyo Post
ニューヨーク,2022.AUGUST 撮影:笹野大輔 ©The Tokyo Post

ニューヨークは外国人や移民が多い都市なので、顔よりもファッションで人物像を知ることはよくある。ファッション全体の色合いはどうか、服は新しいのか古いのか、キレイなのか汚れているのか、着ているのか着せられているのか……。細かなところでは、服にシワはあるのか、毛羽立っているのか、ほころびはあるのか……と。ストリートでは瞬時に判断できないと自分の身を危険にさらすことになる。

長年住んでいるが、ニューヨーク・スタイルなるものは判然としない。日本の雑誌などでの定義はよくわからないが、あえて言うなら「自分がどうありたいか」x「自分に似合っているか」=「自分のファッション」という性質のものだろう。日本では露出が多いファッションの女性に対し「見られたいからでしょ」という意見を持つ人がいるが、ニューヨークでは「自分のファッション」として着ているだけで、知らない異性のために着ているわけではない。

もちろんファッションは、自分らしさの外的コミュニケーションの1つ。街を歩いていると知らない人から「その服いいね(似合っているね)」と声がかかることはニューヨークでよくある。みんなそうあるべきなのよ、と去り際に言い放つ人さえいるくらいだ(このあたりのニューヨークの「慣れ慣れしさ」は、標準語より関西弁に翻訳して聞いたほうがいい)。詰まるところ、ニューヨークでは、自分らしさの「表現としての」ファッションは歓迎される街なのだ。

ニューヨークでみかける「腰パン」のルーツ

ニューヨークらしいファッションもある。日本でいうところの「腰パン」だ。ジーンズなどをずらして履いて、下着のパンツが見えているファッションを日本でも見たことがあるだろう。いまでもニューヨークで男女ともに見かけるファッションでもある。元々はニューヨークなどに住む黒人が、いわゆる腰パンを始めた。ルーツはアメリカの刑務所にある。

ニューヨーク2022.AUGUST 撮影:笹野大輔 ©The Tokyo Post
ニューヨーク2022.AUGUST 撮影:笹野大輔 ©The Tokyo Post

アメリカの囚人服のズボンには、ベルトや腰紐がない。自殺防止のためだ。凶器にもなり得る。だから囚人たちは、囚人服を「パンツが見える形で」ズボンを引きずるように刑務所内を歩いていた。歴史的にも人種差別がはびこり、黒人ばかりが刑務所に入れられて問題だったこともある。また、刑務所内で片足を鎖で繋がれていた時期もあった。

それを“シャバ”で再現しているのが腰パンの始まりだ。なかには刑務所内での鎖を表現して、足が悪くもないのに片足を引きずるようにニューヨークの街を歩いている黒人もいる。人種差別に抗議の意味なのか、ムショ帰りを誇示するようにイキがっているのか、いわゆる「かぶき者」なのか……。わかっていることは「自分がどうありたいか」が全面に出ていることだろう。

最近のファッションでは、男性のショートパンツの丈の長さが変わってきている。長年男性のショートパンツは、膝丈くらいが「適切」かのように思われてきた。太ももがあらわな短パンは、女性かゲイが履くものと認識されていたのだ。だが、ここ数年で性的にストレートの男性も、従来の膝丈のショートパンツから短パンに替わりつつある。「男らしく」「女らしく」が死語の街では自然な成り行きだろう。

ファッションにおいて同性から同性への批判は、たいてい自分の限界が超えているとき。女性であれば(自分が思うより)胸元が開きすぎ、男性であれば(自分が思うより)ショートパンツが短すぎる、といった類になる。つまりは、なんとか自分が着られるファッションの範囲まで“常識を”戻そうとするために批判する。

ニューヨーク2022.AUGUST 撮影:笹野大輔 ©The Tokyo Post
ニューヨーク2022.AUGUST 撮影:笹野大輔 ©The Tokyo Post

ニューヨーカーたちはマスクを外した

こうした意識は、他人のマスク着用の有無に対してもよく似ているのではないだろうか。自分ならここでマスクを「する」「しない」と限界を決めているからこそ、相手を自分と同じ“常識のところ”まで戻したくなっているのだろう。日本の友人からも「いつまでマスクをしていればいいのか」と筆者への嘆きが多くなってきている。当然だろう。最近の日本の夏はカリブ海のジャマイカより暑い。

ニューヨークではマスク着用の義務化が撤廃されてから、マスクは「自分がどうありたいか」というファッションの一部となった。ファッションとしてマスクを見ないのは、建物を見る際に、そばにある電柱や電線、看板を見ないことに等しい。また、日本のように「みんながしているから……」という理由で、マスクを着用することは「自分がどうありたいか」というニューヨークのファッションの対極にある。

マスクの編み目より小さな新型コロナウイルス。N95のような医療用マスクは別として、密閉された空間で一般的なマスクの防御能力を期待すべきではない。FDAによると❝マスクはCDCの推奨に従って『感染源コントロール』のために使用するものであり、個人の防護用品ではない❞とある。やはりマスクは、感染者からの感染を拡大させない役割のほうが大きいのだろう。だからこそ検査の拡充、迅速化にニューヨークは力を入れた。

ニューヨーク2022.AUGUST 撮影:笹野大輔 ©The Tokyo Post
ニューヨーク2022.AUGUST 撮影:笹野大輔 ©The Tokyo Post

ニューヨークの街では、どこも換気は徹底されるようになった。現在(2022年8月上旬)、ニューヨークでのマスクの着用率は、屋外ではほぼゼロ、地下鉄など公共交通では半分程度、駅構内では2割程度といった割合で推移している。

新型コロナが得体の知れない時期は終わった。新型コロナの特性もわかってきた。ワクチンもできた。感染したら経口治療薬もある。ニューヨークでの新型コロナ対応は、ファッションのように「個人がどうありたいか」から「あるべき社会」へと向かっていった。新型コロナで激動の時期を過ごしたニューヨークの人たちは、今日もマスクを外して街に繰り出している。

〈参考〉

https://www.fda.gov/medical-devices/personal-protective-equipment-infection-control/n95-respirators-surgical-masks-face-masks-and-barrier-face-coverings

https://www.cdc.gov/coronavirus/2019-ncov/hcp/infection-control-recommendations.html

https://www.cdc.gov/media/releases/2020/p0714-americans-to-wear-masks.html

笹野大輔氏 (c)笹野大輔
ジャーナリスト、NOBORDERニューヨーク支局長。1973年大阪府生まれ。タイの新聞社を経て9.11後ニューヨークに移住。映像・執筆以外にも様々なビジネスに携わる。