憲法改正の予兆高まるなか、「天皇・皇室」の在り方について議論の時がいよいよ近づいている。天皇制は、憲法解釈や人権問題などあらゆるイデオロギーを内包しつつ、繊細にバランスをとりながら継承されている。いま天皇制を議論することは、日本が選択する民主主義の形を確認する作業に近いのかもしれない。皇室の論壇最前列の高森明勅氏による天皇論。
皇室の論壇最前列の高森明勅氏による天皇論寄稿第2弾は、皇室の男女差別問題に切り込む。
憲法における異空間として天皇・皇族の❝差別❞を放置
日本国憲法は、皇位継承の具体的なルールを附属法である皇室典範に委ねている。ところが、その皇室典範によれば、男性しか皇位継承資格を認められない(1条)。そのため、男性皇族(親王・王)がご結婚後も皇族の身分にとどまられるのに対し、女性皇族(内親王・女王)の場合はご結婚とともに皇族の身分を離れられる(12条)。明らかに男性と女性との間に“差別”を設けている。
しかし、憲法そのものには、“性別による差別”を禁じる明文の規定がある(14条1項)。そこで、皇室典範が定める性別による差別は憲法に抵触しないのか、という疑問が浮かび上がる。
これに対して、政府はこれまで以下のような説明を繰り返してきた。
「憲法2条(皇位の「世襲」規定-引用者)は…皇統に属する男系の男子が皇位を継承するという伝統を背景として制定されたもので…同条は、皇位継承者を男系の男子に限るという制度を許容している」(平成4年4月7日、参院内閣委員会での加藤紘一内閣官房長官の答弁)
このような政府の説明に対して、憲法学界でも一部に批判はあっても(横田耕一氏ほか)、むしろ天皇・皇室をめぐる制度自体が“差別”的であり、憲法における異空間(身分制の飛び地)なので、その内部での差別はとくに問題とならない、という意見(長谷部恭男氏ほか)が大勢を占めているようだ。
そこで改めて、憲法は果たして上記の差別を「許容している」のかどうか、私なりの考え方を述べて、一つの問題提起としたい。
憲法2条で規定された「世襲」には女性・女系も含まれる
憲法2条は「皇位は世襲」と規定している。だからその限りで、14条の“法の下の平等”がそのまま適用されないことは、異論の余地がない。しかし、憲法の「世襲」の中身は「男系の男子」に限定されず、より広く「天皇の血統につながる者のみが皇位を継承すること」(つまり、男系も女系も、男性も女性も含む)を意味する(内閣法制局 執務資料『憲法関係答弁例集(2)』)。
そうであれば、先の“差別”を憲法が「許容している」か否かは、憲法上、天皇・皇室をめぐる制度の大きな柱となっている①「象徴」制と②「世襲」制との具体的な関連から判断する、という丁寧な手順を踏むほかないだろう。
まず①「象徴」制についてはどうか。
天皇が「日本国」および「日本国民統合」の「象徴」とされていることから、それに伴う規範的な要請として、現代の普遍的な価値である“ジェンダー平等”や“多様性の尊重”という理念について、それらと明白に齟齬(そご)する制度を、無条件に「許容している」とは見なしがたいのではあるまいか。
ほぼ同数の男女によって構成される日本国民の「統合の象徴」が、もっぱら男性にしか認められないというルールも、「象徴」制の健全な在り方と言えるかどうか、大いに疑問だろう。
「男系の男子限定継承ルール」では「象徴」制・「世襲」制を維持できない
次に②「世襲」制について。
現在の皇位継承資格を「男系の男子」に限定するルールは、わが国古来の「伝統」ではなく、明治の皇室典範で新しく創設されたものをそのまま踏襲したにすぎない(拙著『「女性天皇」の成立』参照)。しかも、過去の天皇の正妻の35.4%が男子を生んでおられず、前近代からの世襲宮家(伏見宮家(ふしみのみやけ)・有栖川(ありすがわ)宮家・閑院(かんいん)宮家・桂宮家)でも、同じく正妻の54.3%が男子を生んでおられなかった。つまり、明治の皇室典範もそうだったように、正妻以外の母親(いわゆる側室)から生まれた非嫡出子・非嫡系子孫にも皇位継承資格を認めるルールと“セット”でのみ、維持可能な制度だ。
ところが、現在の皇室典範では非嫡出子・非嫡系子孫の継承資格を否認しながら(6条)、「男系の男子」限定“だけ”を踏襲するという無理な制度設計になっている。まさに「構造的欠陥」と言うほかないだろう。
当たり前ながら、今さら側室制度は復活できないし、すべきでもない以上、女性・女系の皇位継承資格を否定した今のルールは、「世襲」制(皇位の安定継承)を危うくする。
したがって、「象徴」制・「世襲」制を維持する観点から、「皇位継承者を男系の男子に限るという制度」は到底、憲法が「許容している」とは言いがたいだろう、というのが私の考え方だ。わずかでも共鳴を得られるなら嬉しい。