画像:shutterstock ロシア-2014年7月18日プーチン大統領とモスクワ総主教/セルギエフポサド
画像:shutterstock ロシア-2014年7月18日プーチン大統領とモスクワ総主教/セルギエフポサド

ウクライナ戦争の裏にある「宗教戦争」

プーチンの信念は「ルスキー・ミール」(聖なるロシア)に依拠し、クリミア併合やウクライナ侵略の正当性を主張する根拠となっている。ロシア正教会とプーチンの関係、またバイデン大統領の信仰にいたるまで、ウクライナ戦争の裏に横たわる宗教観について論考する。(拓殖大学教授・川上高司)

プーチン大統領は現在「プーチンの世界」に引きこもり、そこには誰にも立ち入ることができない。いかに、戦況が悪化しても独自の信念に基づき今後の決定を下すであろう。 

プーチン大統領の信念とは、「欧米は30年にわたってロシアの利益を無視してきた」という悔しさ、特に、旧ロシア圏のウクライナ、ジョージア、モルドバといったロシアの持つ特権的勢力圏での利益が脅かされているという考えである。さらに、2014年の親欧米派勢力によるウクライナでの政変についても「欧米の内政干渉」だとして、「ウクライナ民族の利益を考えていない」と自身の主張を展開している。

これをプーチン大統領は、2021年7月12日の論文「ロシア人とウクライナ人の歴史的一体性について」で自分の考えを明らかにしている 。そこでプーチン大統領は、ソ連の崩壊により2,500万人のロシア人がロシアの外側に取り残され、「20世紀における最大の地政学的惨事」とし、ロシア人とウクライナ人は「歴史的に一体」であるがゆえに、ウクライナを独立した国家として認めていない。

プーチン大統領の信念は「ルスキー・ミール」にあり

このプーチンの信念は、「国境を越えたロシア領域と文明がある」という「ルスキー・ミール」(聖なるロシア)の考え方に根ざしている。「ルスキー・ミール」にはウクライナ、ベラルーシや世界中のロシア人とロシア語を話す人々を含み、その中にウクライナのキエフは「共通の精神的中心」に位置づけられている。それだけに、プーチン大統領にとりキエフ奪回は非常に重要なこととなる。

ソ連が崩壊し、ロシアをどのように復興させるかがプーチンの使命であり、ソ連という共産主義というイデオロギー国家が崩壊した後に、国家のイデオロギー的空白を埋めるために「ルスキー・ミール」という市民宗教を紐帯としてロシアの統一を図ったのである。そこにプーチンは拠り所を見いだしている。

プーチン大統領は「ルスキー・ミール」という大義を掲げ、ロシアのクリミア半島併合(2014年3月)、ウクライナのドンバス地域での代理戦争(2016年7月)、そして今回のウクライナ侵攻を行ったが、それをロシア正教が全面的に支持しているところに大きな強みがある。

ロシア正教会のモスクワ総主教のキリル1世は、ロシアのウクライナ侵攻後の3月6日に、「ドンバス地方のロシア人たちは、退廃した欧米文化に長年苦しんできた。その救済のためにプーチン大統領はウクライナへの特別軍事作戦を行っている」と全面的に支持した。さらに、ウクライナ戦争は、「正義と悪の黙示録的戦い」であり、その結末は「神の加護を受けられるか否かという人類の行方を決めることになる」とまで述べている。

また、ロシア正教会の教えはロシア軍にも浸透し、軍の愛国心を高め士気を鼓舞する。シリア内戦ではロシア正教会はロシア軍を少数派のキリスト教徒を守るための「十字軍」だとして熱心に宗教的に擁護した。

ロシア正教とプーチン大統領は切っても切れない関係にあり、プーチン政権下で勢力をつけている。プーチン政府をロシアのキリスト教文明の守護者とみなし、プーチン大統領の「ロシア帝国の復活」の夢を正当化する役割を持つ。

米露の戦いの裏の「宗教戦争」-分裂するロシア正教

しかし、キリル総主教がプーチン大統領のウクライナ侵攻を前面支援したことで、ロシア正教会の中で深刻な分裂が起こっている。ウクライナ正教会 (モスクワ総主教系) のベレゾフスキー大主教(キーウ府主教区)は、プーチン大統領に「戦争をやめるように」と要請し、エボロジー大主教(モスクワ総主教系)は、キリル総主教のための祈りをやめるよう配下の司祭に指示を出した。

ロシア正教会の信者は全世界で1億6,412万人(約 1億1,350 万人がロシア国内、約5,062万人が国外)いて、そのうち、ウクライナには約3,000万人の正教徒がいる。ウクライナの正教会信者の多くはロシアが主導する「ウクライナ正教会(モスクワ総主教系)」に属しているが、ウクライナには相当数のカトリック信者のほか、モスクワからの独立を求める「ウクライナ正教会」の信者がいる。

ウクライナでは「ウクライナ正教会」(モスクワ総主教系)と別の2つの正教会に分裂していて、分裂や再統合を始めているのである。モスクワ総主教系とたもとを分かつのが完全独立系「ウクライナ正教会」である。

そして、ギリシャ正教会のコンスタンチノープルのエキュメニカル総主教であるバルトロメオ1世は「ウクライナ正教会」の独立を2019年に認めたことがこれに拍車をかけ、ロシア総主教のキリル1世との対立を決定的にした。このことが今回のウクライナ侵攻に隠された宗教上の争いである 。

プーチン大統領側のキリル1世と、バイデン大統領側のバルトロメオ1世の対立は熾烈を極める。地政学上の争いの裏では宗教紛争が展開されているのである。

バルトロメオ総主教は2021年10月に米国のホワイトハウスを訪れバイデン大統領と約1時間にわたり会談を行った。そこでは、ウクライナ正教会のロシア正教会からの独立承認をめぐり、モスクワ総主教区とエキュメニカル総主教間で鋭く対立したことにつき意見が交換された 。

周知のように、バイデン大統領はケネディ大統領に次ぐ、史上2人目のカトリック信者の大統領である。バイデン大統領は10月29日、バチカンを訪問し、ローマ教皇フランシスコと会談している。アメリカが、バチカン、コンスタンチノープルといった教会と連携し、モスクワ包囲網を形成する布陣ともなっているのである。