フランスの人工妊娠中絶 金塚彩乃 画像:shutterstock ©the Tokyo post
フランスの人工妊娠中絶 金塚彩乃 画像:shutterstock ©the Tokyo post

フランスの人工妊娠中絶の権利合法化までの道のり~哲学と女性の自由と法制度と~【金塚彩乃】

金塚彩乃
弁護士(第二東京弁護士会)・フランス共和国弁護士(パリ弁護士会) 中学・高校をフランス・パリの現地校で過ごし、東京大学法学部卒業後、弁護士登録。再度、渡仏し、パリ第2大学法学部でビジネスローを学び、パリ弁護士会登録。日仏の資格を持つ数少ない弁護士として、フランスにかかわる企業法務全般及び訴訟案件を手掛ける。2013年より慶應義塾大学法科大学院でフランス公法(憲法)を教える。2013年、フランス国家功労賞シュバリエを受勲。

2022年6月24日、アメリカでは連邦最高裁が人工妊娠中絶の権利が憲法上の権利(修正14条から導かれるプライバシー権)であることを否定しました。

フランスではその翌日である25日に早くも、大統領与党のルネサンスが国会に対し、中絶の権利を憲法に定めるための法案を提出し、政府もこれを支持指示することを明確にしました。左派もこれに賛成し、分裂状態にあるフランスの現在の下院で初めて広い合意を得て可決される法案だと考えられています。

フランスで人工妊娠中絶の権利を憲法に定める動き

フランスでは、IVGInterruption volontaire de grossesse人工妊娠中絶)の合法化は男女の平等の根本であるとされ、アメリカと異なり、これに異論を唱える大きな声はありません。そのような中、憲法議論を行うことは、寝た子を起こすことにならないか、今ある保障だけで十分ではないかという議論もありますが、それでもなお、アメリカの最高裁判決の衝撃は大きく、憲法院の判断が変われば吹き飛ぶような権利であってはいけないとの危機感が大きく共有されています。

それでは、フランスの人工妊娠中絶はどのような内容で、どのような議論に支えられ、どのような法律と憲法判断がなされてきたのかをご紹介したいと思います。

IVGの合法化の戦いに名前が刻まれるのは、シモーヌ・ド・ボーヴォワール、ジゼル・アリミ、そしてシモーヌ・ヴェイユ(Simone Veil。20世紀前半の哲学者Simone Weil とは異なります。)の3人の女性です。

フランスのIVGのための戦いは、実存主義的自由に支えられてきました。

哲学と女性の自由と法制度が交錯する重要な論点です。

そうしたフランスの議論と法制度をご紹介します。

【フランスのIVG】

フランスでは現在、以下のとおりの制度となっています。

・中絶の方法と期間:

 外科的中絶(真空吸引法):最後の月経の始まりの日から16週間まで

 経口中絶薬:最後の月経の始まりの日から9週間まで

2022年3月2日の中絶の権利を強化する法律により、医療機関において、助産師が外科的方法による中絶を行うことが可能になりました(現在施行令準備中)。

・中絶の費用は100%健康保険でカバーされます。

・中絶を妨害する行為は犯罪とされ、2年以下の懲役及び3万ユーロ以下の罰金とされていますこれは、医療機関へのアクセスを阻害する行為や、職員もしくは女性に対して脅迫行為を行うことを罰するものです。

・未成年者は原則として親あるいは法定代理人の同意が必要ですが、医療機関からの説明を受けても秘密を守りたい場合には、親の同意は不要となりました。この場合未成年者は自分の選ぶ成人の付き添いだけが求められます。

【フランスのIVGの歴史と実存主義的自由】

フランスではもともとIVGは1920年の法律により、妊娠中絶が禁止されていました。これは第一次世界大戦以降人口増加を奨励する波の中で制定されたもので、ここで禁止されていたのは、中絶だけではなく、避妊の方法についての宣伝も対象となっていました。

さらに、フランスでは、フランス革命以降、「重罪」とされる犯罪については市民から選ばれる参審員(日本の裁判員と近い制度)による審理がなされていましたが、中絶を参審員に審理させると寛大な判決が出されることが危惧されて、中絶は職業裁判官によってのみ裁かれる犯罪とされました。 

こうした中絶を正面から問題にしたのが、ボーヴォワールの「第二の性」です。

ボーヴォワール「第二の性」が論じた女性の自由

「第二の性」は、「女は女に生まれるのではない。女になるのだ」という文書が知られていますが、これは、単にジェンダーとして「女性」が作られるということを意味するのではありません。「第二の性」の冒頭でボーヴォワールは、「実存主義的モラル」の立場から女性の自由を論じるとしています。実存主義哲学にとっての要は自由ですが、ボーヴォワールの言葉を借りれば、「無限の将来に向けて自分を発展させていく行為のみが現在の自分の存在を正当化する」ものであり、あらゆる主体は、「他の自由に向けて行われる絶え間ない現在の自由を乗り越えることによってのみ、自分を実現することができる」ということになります。ところが、女性はどのようなわけだか主体ではなく、他人がその運命を決める「他者」となってしまっている。これは生物学的あるいは心理学的に規定されてしまっている変えられない運命なのか、あるいは社会的に構築されたものなのか―この問題をボーヴォワールは、1,000頁を超える著作の中で論じていくのです。

そして、ボーヴォワールは生物学や心理学的に女性を「他者」や「内在」に追いやる必然はないことを論証し、教育や社会によって女性の置かれている状況が作り出されるとします。それを乗り越えるには、女性の経済的自立の重要性が指摘されますが、それとともに、女性が完全な自由でどうすることもできないのが、妊娠という女性の役割であるとします。女性が男性との平等のために経済的自立を目指しても、子供一人の存在で、女性の活動すべてが麻痺させられてしまうといいます。その中でボーヴォワールは、「子供を持つということが女性にとって重荷になっているとすれば、それは風習が女性に子供を持つ時期の選択を許さないからである」とするのです。ここから、中絶の必要性が導き出されます。絶え間ない選択をすることができるということが人間存在の本質であるとすれば、中絶を認めないことは、人としての根源的な存在である自由と相容れないということになるのです。

「第二の性」が出版されたのは1949年です。この時期はベビーブーム最盛期であり、子供を産むことが奨励されていた時代であって、「第二の性」は賛否両論を巻き起こします。しかし、「時限爆弾」と呼ばれたこの本が本当の威力を発揮するのが、1968年のフランス5月革命以降のことになります。

フランスの女性の権利獲得の最も重要な裁判【ボビニー裁判】にて

そして、このボーヴォワールの主張と実際の中絶合法化の運動をつなげるのが、1972年の「ボビニー裁判」です。これは、16歳のマリー・クレール・シュヴァリエが同級生に強姦され妊娠したために、母親とその同僚、中絶を行った女性が堕胎罪で起訴されたという裁判です。

この裁判を担当したのが、ジゼル・アリミ弁護士(1927年―2020年)です。チュニジア出身のアリミは、これまでアルジェリア独立戦争の独立派の弁護で名を馳せてきた女性弁護士です。アリミの担当した女性活動家のジャミラ・ブーパシャの弁護を通じてアリミはボーヴォワールと知り合うことになります。ブーパシャは爆発未遂事件を起こしたとして逮捕され、フランス軍から強姦を含む拷問を受けた後、死刑判決が予期されていた女性でした。ボーヴォワールは、「ジャミラ・ブーパシャのために」という文書をル・モンド紙に寄稿し、フランス軍の非人道的拷問を世間に知らしめ、世論を喚起しました。

マリー・クレールの裁判において、アリミは中絶を違法とする法律自体の問題を訴えました。そこで、弁護側証人としてボーヴォワールも出廷し、裁判所で証言をしています。そして、アリミは最終弁論で次のように主張します。

「裁判官の皆さん、女性を従属させるための方法はどのように見つけられるでしょうか。シモーヌ・ド・ボーヴォワールが明快に説明しました。女性にあらかじめ定められた運命を作ればいいのです。生物学的運命は、私たちの誰もが逃れる権利を持たない運命です。ここでの私たちの運命は母親となることです。男性は、その仕事、その創造、社会の中における自分の居場所によって自分を定義し、存在し、実現します。女性はといえば、彼女が結婚した男性、そして持つこととなった子供により定義されます。

 これが私たちが否定するイデオロギーです。」

「子供を持つという行為は、自由な行為の最たるものです。自由の中の自由、自由の中で最も根源的な、最も本質的な自由です。裁判官の皆さん、女性がそれを行わないと決めた時には、なんぴとも女性に生命を生み出すことを強制することはできないということをわかってください」

ここでアリミが主張するのは、ボーヴォワールが主張した自由に基づく女性の権利であることは明白です。

この弁論を受け、裁判官はマリー・クレールを無罪とし、母親を含むすべての人に執行猶予付きの判決を出しました。

この「ボビニー裁判」はフランスの女性の権利獲得の歴史の中で、最も重要な裁判と言われています。

IVG(人工妊娠中絶)を合法化したシモーヌ・ヴェイユ

この裁判の結果を受けて、実現したのが、IVGを合法とする1975年の法律です。これを実現したのが、時の厚生大臣であるシモーヌ・ヴェイユです。シモーヌ・ヴェイユは、「フランス第五共和制史上最も困難な議論」と言われたIVGを合法化する法律を成立させることに成功します。その陰には数限りないいやがらせもありました。ヴェイユはアウシュビッツからの生還者であり、裁判官となった後ジスカールデスタン大統領により厚生大臣に抜擢され、その後欧州議会議員に選出されたのち、女性初の欧州議会議長を務めました。ミッテラン大統領の下で再度入閣し、1998年から2007年までは憲法院のメンバーを務め、2007年にはアカデミーフランセーズに選出されました。

シモーヌ・ヴェイユはフランスで最も愛された政治家と言われ、2019年に亡くなった後には、フランスの偉人を祀るパンテオンで眠ります。マクロン大統領は、パンテオン合祀において以下のように述べました。

「フランスは、シモーヌ・ヴェイユを愛している。フランスは、常に正しく、必要で、最も弱い人たちへの配慮に動かされた彼女の戦いを愛している。彼女はほかに類を見ない力強さをもって戦った」

(第2回へ続く)