米中露:新冷戦の中で、私たちはアメリカのための“地雷原”国家になるのか。それとも?〈その1〉
伊勢崎賢治氏(東京外国語大学教授/紛争予防と平和構築専攻科)が国際政治・外交・防衛について語るコラム。初回は新冷戦の舞台となる「北極圏」について。
北極圏と中国
コロナ禍で滞っていたが、久々の国外の仕事のオファーが来た。それも、僕にとって今まで全く足を踏み入れたことのなかった北極圏である。
現在、一年のほとんどが氷で覆われ、航路が閉ざされている北極海が急速に溶けている。この北極海が2030年ごろまでには年間を通して通れるようになる。地球温暖化の解決に向けて不断の努力を続けている専門家・運動家たちには受け入れ難いことかもしれないが、それを前提に世界が動いている。
特に、中国だ。
現在、インド洋〜スエズ運河〜地中海を経由して中国とヨーロッパを結ぶ南航路。これを「北極海航路」は三分の二に短縮させる。ロシア沿岸を通ってゆくので、アメリカの覇権の影響を受けない。
更に、ここに眠る天然資源である。永久凍土と氷で閉ざされていた石油・天然ガスや漁業資源の更なる開発投資が可能になる。
更に、氷という、相まみれる超大国の「緩衝材」がなくなり、今までは攻撃型原子力潜水艦等の限られた兵器だけが侵入できたこの領域に、それ以外の兵器の投入が可能になる。
一帯一路構想と相まって、中国が目をつけないわけがない。現在の中国の北極圏への進出の基盤は、アイスランドとグリーンランドである。
小国でありながら「金融立国」として成功をおさめていたアイスランド。しかし、2008年、アメリカのサブプライムローン問題に端を発した世界金融危機で、「国家破綻」の危機に見舞われた。誰がアイスランドに手を差し伸べたか?
漁業資源が主力産業のアイスランドとして、漁獲量の制限が伴うEU加盟への交渉が冷え込んでいた上に、震源地アメリカと共にEU諸国もそれどころではない状況で、金融協力を申し出たのが中国であった。アイスランドは、ヨーロッパ諸国の中では、中国と自由貿易協定を結ぶ最初の国になった。アイスランド国民は、中国から受けたこの恩を忘れない。
2008年に、宗主国デンマークから、諸外国との外交権も含め高度な自治を勝ち取ったグリーンランドも、中国は見逃さなかった。グリーンランド自治政府は、デンマークへの経済依存を薄める手段として、中国の投資を積極的に招き入れた。対ロシアの弾道ミサイル警戒任務を追う「アメリカ宇宙軍」基地を擁する世界戦略上の重要拠点であることに加えて、鉱山資源にも恵まれるこの島国への中国進出を、アメリカが快く思うはずはなく、米中間の熾烈な投資合戦となっている。トランプが、この島国を “購入”しようとしたことも含めて。
新冷戦の中の北極圏とアジア
今回、僕を北極圏に招待したのは1団体と2大学。ノーベル平和賞委員会に毎年ショートリストを提供することで知られるノルウェーのオスロ国際平和研究所。「北極の首都」と称される同国北部の州都トロムソにあり、世界最北の総合大学であるノルウェー北極大学。そして、アイスランドの最北に位置し先進的な極地研究で知られるアークレイリ大学である。
これらを巡回する講演ツアーを依頼されたのであるが、主催者であるノルウェー北極大学の問題意識は以下である。
1989年のアフガニスタンでのソ連の敗北につづく冷戦の終結。旧タリバン政権の誕生と2001年の911同時多発テロを機に始まった対テロ戦。アメリカの勝利と旧タリバン政権の崩壊。そして20年を経た2021年8月、アメリカの敗北と新タリバン政権の誕生。それと同時進行する、2014年のロシアのクリミヤ併合を契機とする旧冷戦構造の復活。
これらアメリカ、ロシアを主軸とする地政学上の地殻変動を背景に、現在、一帯一路構想の中国圏が拡大しつつあるアジア全域において、香港、ミャンマー、ウイグル、台湾問題が象徴するアメリカvs中国の対立が加味する新冷戦構造の中で、例えば、アメリカの「不沈空母」とも称される日本の姿は、北極圏の未来にどんな示唆を与えるか。特に、伝統的な“中立外交”のフィンランドとスウェーデンと違って、1949年のNATO北大西洋条約機構の創立以来、明確に西側陣営に属する北極圏3国、ノルウェー、アイスランド、グリーンランドにどんな示唆を。
地雷原国家
僕は、日本を「不沈空母」ではなく、この記事のタイトルにある “地雷原国家”と揶揄を込めて呼びたい。自虐が過ぎるかもしれないが。
「トリップワイヤー:仕掛け線」という用語が抑止戦略論にある。超大国や軍事同盟が、敵国の軍事力に均衡するよりずっと小さい兵力をその敵国の間近に置き、際限のない軍拡競争のジレンマを回避する抑止力とすることだ。2014年のロシアによるクリミヤ併合を契機に、NATO軍は、バルト3国(旧ソ連邦だったエストニア、ラトビア、リトアニア)をトリップワイヤー化し、駐留している。
韓国も、歴史的に北朝鮮と中国を見据えたアメリカのトリップワイヤー国家である。日本は、その後ろに陣地する後方トリップワイヤー国家と呼べるかもしれない。しかし、韓国と日本には決定的な違いがある。韓国には“意思”があることだ。
米朝開戦になったら誰がその指揮権を握るのか。韓国には、「戦時作戦統制権」をめぐるアメリカとの葛藤の歴史が今でも続いている。1950年の朝鮮戦争勃発の際に李承晩元大統領が作戦指揮権を国連軍司令部に移管して以来、その奪回は、その後の歴代大統領の悲願であり続け、現在の文在寅大統領に至る。1994年の金泳三政権時に「平時」の作戦権を取り戻したが、それでも国家の存続にかかわる「戦時」の作戦権の奪回に韓国を突き動かすのは、「主権国家」としての自覚だ。
上述のバルト3国は、冷戦終結後NATOに加わり、アメリカ含む加盟国と法的に対等になる「互恵性」を原則とするNATO地位協定に組み込まれている。互恵性とは、お互いの主権を最優先する「自由なき駐留」である。アメリカとNATOは、冷戦時代の「旧敵国」にも、新たな共通の目的のために持続的な関係を構築、維持しようと「平等」が支配する地位協定を与えている。
日本において、こんな議論は、国内政局にも、日米交渉の俎上にも、上ることはない。日本は、トリップワイヤー以下の、アメリカに従うだけの、意思のない“地雷原”である。
北極圏はどうか?
NATOの一員といっても、一度戦争が始まれば、他の同盟国と違って、真っ先に戦場となるのは自分の国。さらに、ロシアに接する「地方」には、民族的な融合と交流の深い歴史がある。古い世代には、ソ連はナチスの脅威から救ってくれた解放者としての記憶がまだ生きている。しかし、2014年ロシアのクリミヤ併合後、「首都」は着実に、ロシアを警戒するアメリカとNATOに歩調を合わせつつある。
国内政治が、こんなジレンマの真っ只中にあるのがノルウェーだ。
アイスランドは、第二次世界大戦終戦から西側陣営の「不沈空母」と呼ばれ続けていた。アメリカにとって、対ソ連・ロシアのための空軍力の拠点であり、アメリカがこの小国の国防も肩代わりする協力体制が戦後ずっと継続していた。しかし、2006年。55年間にわたって続いたアメリカ軍駐留が終焉する。
その後、この国は、独自の国軍を持つという選択を取らなかった。平和維持活動等の国際協力任務に限定した、それも同国“外務省”の管轄下で、軽装備の小部隊を持つだけだ。憲法が常備軍の不保持を謳いながら徴兵制のあるコスタリカと違い、アイスランドは、憲法に頼らずとも、軍を持たず、徴兵制も敷かない独自の選択をした。
そんなアイスランドと協働し、グリーンランドを含めた北極圏3国が共通のアイデンティティーを確立して、対ロシアに加えて中国が参入する新冷戦の渦中を生き残る交渉力としたい。今回、僕を招聘したノルウェーには、そんな意図があるようだ。極東の地雷原国家は、これにどう協働できるか。
今後、この講演ツアーで僕が使った講義録を元に、以下のように話を進めてゆきたいと思う。
その1:米中露の新冷戦~最前線の北極圏が生き残りをかける←今ここ
その2:アフガニスタンから見る新冷戦~タリバンは復活し、アメリカは「無責任に」撤退した
その3:新冷戦に必要な「分断」~敵はテロリストから人権侵害国家
その4:「アフガニスタン人権戦争」に敗北したアメリカが露中に仕掛ける新人権戦争
その5:Japanification(日本化):北極圏の小国への示唆として(仮)