長年の外交・安保政策を転換し、北大西洋条約機構(NATO)加盟の方針を打ち出したことで注目を集めているフィンランドのサンナ・マリン首相が、女性誌『ELLE』のインタビューに応じ、ジェンダー平等について語った。
長年の外交・安全保障政策の方針を転換
サンナ・マリン首相は1985年にフィンランドの首都ヘルシンキで生まれた。市議会議員を経て、2015年国会議員となり、運輸通信大臣だった2019年、前首相の辞任によって34歳の若さで首相に就任した。フィンランドの女性首相は歴代3人目で、女性としては世界で最年少のリーダーになった。
フィンランドはロシアと国境を接しており、ソ連時代には侵攻を受けて領土を奪われた歴史もある。このため、第二次世界大戦の終結後は、外交や安全保障政策ではロシアを刺激しないよう西側諸国とは一線を画し、軍事的な中立を保ってきた。しかし、ソ連のウクライナ侵攻を機に、方針を転換。隣国スウェーデンとともにNATO加盟の方針を打ち出し注目を浴びた。
それとともに、マリン首相をはじめ連立5政党の党首がすべて女性で、閣僚19人のうち12人が女性を占める内閣の布陣にも、ジェンダー平等の先進性を示すものとして目が向けられるようになった。
マリン首相へのインタビューはフランス版ELLEが行い、4月13日にELLEデジタル版に掲載された。外交・安保などについての言及はないが、ジェンダー平等についての考えや思いについて語っている。
政治家を夢見る少女の希望に
インタビューでマリン首相は、34歳の若さで女性として首相の座に就いたことについて、「自分は、50歳の男性議員よりも劣っているとも優れているとも思っていない」としながら、「私が任務をまっとうし、国が抱えるさまざまな問題を解決に導くことができれば、政治家を夢見る世界中の少女たちの希望になれるかもしれない。政治の世界にもロールモデルは必要だと思う」と語った。
マリン首相は、プライベートではパートナーとそれぞれ6か月の育休をとり、政策としても父親が取得できるの育休期間を拡大した。インタビューでは、幼少時代には父親のDVから逃れ両親が離婚、その後、母親が選んだのは女性パートナーだったことについても語っている。まさに「ジェンダー」に向き合う人生だ。
フィンランドは政治分野においてもジェンダー格差の少ない国となったのかという問いについては「フィンランドでは子供が幼い頃から、男女平等の教育が浸透している。女性も、男性と同じように高いポストに就ける。そう信じて疑うことなく生きていけることは大きい」などと指摘した。
しかし、そんなフィンランドでもジェンダー平等を実現したとはいえない。例えば、男女間で15%以上の賃金格差があり、看護師は女性、エンジニアは男性などと男女で職種が分かれる傾向も残っている。このため、マリン政権でも、育休中に支給される給与に男女で差をつけないための法律改正や給与所得の透明性を確保する制度の実現に取り組んでいる。
最後に「今を生きる女性たちにアドバイスを送るとしたら」と質問されたマリン首相は、こう答えたという。
「なんでもできる。どんな夢だって叶えられる。仕事におけるキャリアも、家族の一員としての生活も、同時に手に入れられる。どんなときも、そのことを忘れないでいてほしい」