菅野志桜里✕伊勢崎賢治「ウクライナ侵略への情熱と冷静」信条かけトークバトル〈第3回〉
菅野編集長の国会議員時代、自衛隊活用のための法制化と憲法改正に向け、政策ブレーンとして共闘してきた伊勢崎賢治氏。いわば「同志」だが、ロシアのウクライナ侵攻に対しては、発信に距離感があるようだ。その違いを鮮明にし、合意形成なるか?を試みる対談を行った。
日本が良き紛争仲介者となる道は? 民間運動を支持する伊勢崎氏に対し、日本政府こそが役割を果たすべきではないか、とする菅野。日本の法整備、日本外交の未来像は一致しつつも、理想を目指すか現実の足元を見るか、アプローチの違いが浮き彫りになる対談第3回。
◆菅野志桜里(TheTokyoPost編集長)
◆伊勢崎賢治(東京外国語大学大学院教授)前回はこちら
安全保障議論から目をそらし続ける日本は国際法を語る資格なし!?
菅野志桜里(以下、菅野) ウクライナの現状に対しては、人権国家の旗を旗幟鮮明にしてG7の結束の一部をアジアから担っていく。これが日本政府の今なすべきことだと私は思うんです。ただもちろん、日本外交の未来の選択肢のために、「憂慮する日本の歴史家の会(第2回参照)」のような民間が今回のことを通じて動いていくこと自体は否定しません。
伊勢崎賢治(以下、伊勢崎) そうでしょ! 同会がターゲットにしているように、ロシアへの経済制裁に参加していない大国の中国とインドが停戦の仲介者になるようにロビーイングするのは良いアプローチだと思うでしょ?
菅野 ウイグルや香港など人権問題で文句を言わないから、何か一緒にやれることをやっていこうよという話だったら中国も話は聞くかもしれないですね。ただ私は、人権問題に目を瞑ることと引き換えに、一緒に仲介者をやろうよと中国に呼びかけて共に行動するということであれば賛成できないんです。たしかにロシアや中国に限らず、アメリカにも国際法違反の人権侵害の前科はあると思うんですよ。ただ、国内に表現の自由や報道の自由が保障されて自浄作用がある国と、そうでない国とでは明確な違いがある。そこを区別せずに「お前も悪い」理論を許すと、人権弾圧については互いに見て見ぬふりをしあう権力者相互の共謀関係ができる。その結果苦しむのはどの国も、1人1人の国民だと思います。
伊勢崎 影響力のある国は、みんなスネに大きな傷を持っていますものね。インドも国内のムスリムへの弾圧、特にカシミール問題を抱えているし。国内に深刻な人権問題を抱えている国が、他国の深刻な人権問題を引き起こしている戦争の終結に介入する。皮肉ですよね。
本来だったら、ノルウェーのような平和外交の実績のある中立な国が適役なのでしょうが、NATOの一員でしっかり戦争当事者国ですからね。今回のウクライナ戦争は、停戦のためなら、どんな悪魔でも利用するという感じです。
自民党の石破茂さんが、ご自分のブログで、「戦争を終結に向かわせるためには、一方を絶対悪と位置づけることは避けなくてはなりません」と仰っていて、僕は深く頷きました。
ロシアはもちろん、アメリカも、中国も、インドも、そして現在ゼレンスキーが停戦交渉においてNATO不加盟の条件としてウクライナの安全を保障する国として名指ししているイスラエルも、人権の敵、悪魔ですよね。でも、一つの戦争を集結するためには、1人の悪魔を絶対悪に位置付けるのではなく、悪魔たちを協力させる。これが停戦仲介のリアル・ポリティクスだと思うのです。
そして、今回ロシアがウクライナに対してやったことは明確な侵略ですが、ロシアを絶対悪と位置付けるだけだと、同様の侵略行為は歴史的になぜ繰り返されてきたか、国際法の穴を修繕するという問題意識につながらないと思うのです。
まずソ連時代のロシアは言うに及ばず、ベトナムやニカラグアにおいてアメリカも同罪の「集団的自衛権」の悪用を、もうこれ以上許さない国際条約・協定の発行とか。
菅野 日本が国際法と国内法のギャップに目をつぶり続けていることは大問題です。集団的自衛権の問題も国民的合意がないまま宙ぶらりんだし、ジェノサイド条約も批准していないし。
ここから三番目の論点に入っていきましょうか。今回のプーチンの戦争を契機に、日本の外交安全保障議論をどう進めていくか。見えてきた課題と日本の立ち位置。まずは個別の課題の方からいきましょうか。
まずジェノサイド条約を含めて、国際法と国内法のギャップを埋めていく努力があまりにも足りていないので、今までずっと伊勢崎さんと取り組んできました。ジェノサイド条約も日本は批准をしていなくて、その理由を法務省に問うと、結局「国内刑法で、殺人の集合体として処罰できるからいいんだ」「ただ条約に入るには共謀とか扇動とかまで処罰することが求められるから、日本の刑法では入れないんだ」という話になって、私も伊勢崎さんも何という無理解に基づく見解なんだと怒っている。個人の生命を奪う殺人と、狙いを定めた属性集団そのものを消滅させるジェノサイドというのは、そもそも保護法益が全く違う。犯罪の軽重ではなく、その犯罪を処罰することで守ろうとする価値が違うわけですよね。なので、日本政府に、殺人の集合体=ジェノサイド、だから条約に入らなくても処罰できるから大丈夫みたいな方程式で語られると、本当に恥ずかしくてうつむいてしまうわけです。
伊勢崎 はい。日本は、ほんの一世紀前に、関東大震災での朝鮮人虐殺という、今日それが起きたら間違いなく「ジェノサイド」と認定される事件を引き起こした歴史があるのに。本当に思考停止とは、まさにこのことだと思うのです。こんな状態の日本人を相手に、ウクライナの悲劇について議論して一体何の意味があるのか、僕にはもう分からない。
菅野 意味はありますよ。一歩一歩前進するしかないので、日本はまず入りましょうね、という話。具体的には、ジェノサイド条約2条に沿って日本の国内法でもきちんとジェノサイドという犯罪類型をつくり、共犯をそこまで処罰するかについては必要があれば留保をつけて加盟する。それが筋だと思います。実際150を超える加盟国のうち、約5分の1にあたる30か国は留保付きで加盟してるから可能なんですよね。ちなみに米国も留保付きの加盟です。それとあわせて、加盟すればそれでいいというわけではなく、ジェノサイド条約がどこまで機能しているか、という課題もありますよね。
伊勢崎 はい。気を取り直します。今回のロシアのウクライナへの侵略に対して、ウクライナ政府が国際司法裁判所に訴えましたよね。「ロシアが東部の二つの州でウクライナ政府によるジェノサイドが起きていると主張し、それを理由にウクライナへの侵略を正当化させている。これを止めさせてほしい」という。
これに対して同裁判所が出した結論(*)は「即刻、武力侵攻を停止せよ」です。ウクライナ、ロシア両国が加盟するジェノサイド条約は締結国に、ジェノサイドがあったか否かの係争を国際司法裁判所に付託できる条項がありますが、それを言及した上で。
(*国際司法裁判所3月16日付:仮保全措置命令 PDF注意)
菅野 つまり、ジェノサイドの有無については評価せず、ただ戦争の正当化理由にはなりませんよ、にとどめた、ということね。
伊勢崎 そのとおりです。ドンバス地方でジェノサイドがあったか否かの判断ではなく、同裁判所にはジェノサイドの有無について管轄権がありますよと同裁判所が判断しただけです。しかし「だからといって武力侵攻の言い訳にはならない」と明言した。そこはすごく良かったですよね。だけど、これはゼレンスキーの100%の勝利ではありません。
菅野 そこを判定してくれと、そもそもウクライナは求めていないかもしれませんね。ジェノサイドの定義づけ、そして個別の事案に対してのジェノサイド該当性の判断にはまだ課題がある。けど、今回ジェノサイド条約を通じた国際司法裁判所の判断には一定の意味があったんでしょうか。
伊勢崎 そういうことだと思います。
菅野 もうひとつ、今回の件で多くの日本人が実感したのは、自衛の原則。自衛しない国を守ってくれる国はない、という当たり前。
伊勢崎 日本共産党の志位さんでさえ、もし侵略者が現れたら自衛隊が戦うことは肯定しています。
菅野 それ、伊勢崎さんとサシで話したときだけじゃないんですか。
伊勢崎 違います。海外特派員協会での海外メディアからの質問への答えです。
菅野 ほんとう?
伊勢崎 ほんとうです。記者からの質問に答えて、自衛隊を含めて日本人はちゃんと戦うと。だけどジュネーブ条約への法整備は必要ないと言っている(*)
菅野 戦うくせに、戦いのルールは決めなくていいのはおかしいでしょう。自衛であれ戦うなら、憲法と法律で最低限のルールを書かないと。結局、憲法に触りたくないんですよね。
伊勢崎 そうとしか言いようがありません。ほんと、こまる。
菅野 ナンセンスですよね。
伊勢崎 現実問題として、侵略されたら、自衛隊が戦います。共産党でさえ、そう言っているのだから。そして、志位さんが上のリンクで言っているように、そういう状況は、「緊急事態」です。
この緊急事態についても、憲法との整合性が決着していない。野党はその議論を忌諱さえしている。これを考えるとまた意識が遠くなります。出動した自衛隊の戦車は交通信号を守るべきか?みたいな議論しかやってこなかったのだから。
菅野 そこ、意識を引き戻して、個別の論点に落とし込んでいかないと。
アメリカと露中の間に位置する緩衝国家として、日本の選択肢
伊勢崎 そうですね。そして、侵略者からの自衛となると、日米同盟がどうなるかにも問題にしなければなりません。加えて、日本はもちろん正式なNATO加盟国ではありませんが、ブリュッセルにNATO日本政府代表部を開設したり、自衛隊が合同訓練に参加したり、準加盟国みたいな位置付けになっています。
菅野 アメリカが加盟している以上、もれなく日本もカッコ書きでついてくる感じはありますよね。
伊勢崎 日本は、NATO準加盟国の「緩衝国家(*)」と言えるかもしれません。日本の目の前には中国とロシアがあり、アメリカは海の彼方だけど、巨大な米軍基地を擁するトリップワイヤー国家(**)でもある日本。
(*参照: 「Japanification(日本化)を警戒せよ」新冷戦の戦場となる北極圏の小国への示唆)
(**参照: 米中露の新冷戦~最前線の北極圏が生き残りをかける)
菅野 アメリカと露中の間に浮かんでいる島国。こういう変えられない地理的条件を日本は背負ってるわけですよね。それは分かります。それで伊勢崎さんに聞きたいんです。
さっき話に出たように、同じく地理的に緩衝国家であるフィンランドやスウェーデンにも大きな地殻変動が起きてますよね。NATOに加盟していなければロシアから侵略を受けてもNATO軍の支援はない、緩衝国家としてNATOの防波堤になっていても、そこには例外はない。こういうウクライナの状況を見てしまったから、自らNATO入りを明確に望むようになってしまった。緩衝国家として第三者的に平和的に中立的に生き抜いていくという選択肢が極めてとりにくくなってしまった。それはロシア自らが招いたことだと私は思いますけれども。
そういう中、日本の立ち位置をどう考えるか。アジアから自由主義陣営の一翼を明確に担っていくのか、それにとどまらず独自の役割を果たしていくことができるのか。どうですか。
伊勢崎 今回のウクライナ戦争は、志桜里さんがおっしゃるように、そういう「自由と民主主義」陣営の緩衝国家のそれぞれの内政に大きな衝撃を与え、ロシアを刺激しないでやってきた伝統を大きく変化させました。世論もその変化を強く押しているようです。
ただ、そういう伝統が完全に崩壊するのかというと、そうではないと思います。だって、有事になれば真っ先に戦場になるのは、そういう緩衝国家ですからね。最後には、その危機感が緩衝国家としての平常心を保たせるのだと思う。そういう学者や研究者の動きは既に始まっています。
緩衝国家というのは、敵対する超大国の“傘”のどっちに入るかで引き裂かれるのですね。でも、小さなものでも緩衝国家独自の傘をつくって、逆にその傘を双方の超大国に差し掛けるという発想はどうか? こんなことを北欧の緩衝国家の学者たちとまじめに議論しているのです。
菅野 既存の陣営を選ぶんじゃなくて、自分たちで緩衝国家陣営をつくろうという話、ですか。
伊勢崎 そうです。一つ一つの緩衝国家は無力なので、お仲間をつくろうと。「超大国が戦争すれば戦場になっちゃう国家同盟」みたいな。もしくは「超大国の代理戦争の犠牲になっちゃうかも国家同盟」みたいな。スーパーパワーの狭間にいる緩衝国家の同盟だからこそできる平和構築を目指して。
菅野 つまり自由主義陣営を抜け出て緩衝国家陣営に入るんだではなくて、あくまでも自由、民主主義、法の支配という価値を掲げる陣営に属しながら、もう一つ緩衝国同士の枠組みで緩衝国家にしかできない平和構築を担っていく。その枠組みづくりをアジアからは日本がリードしていこう、と。そういうこと?
伊勢崎 そうです。昨年から世界は悲劇の連続ですが、未来志向でいいでしょ? アジア。そうです。でも、それには日本と韓国が、もっと仲良くしなきゃいけないですね、アジアの緩衝国家どうしで。
北極圏では、まずグリーンランド(デンマーク)、アイスランド、ノルウェー、この三つのNATO加盟国がまとまりたい。それを、フィンランド(NATOに加盟してしまうかもしれないけど)、スウェーデン、二つの中立国につなげて、NATO軍を駐留させずロシアを刺激しない「脱トリップワイヤー同盟」を宣言する。つまり、全同盟国の同意なしには一国のトリップワイヤー化には応じないという仕組みです。
それを既にNATOのトリップワイヤー国家であるバルト三国に、脱トリップワイヤー化を促してゆく。そして、ベラルーシ。
この国はもちろんプーチン寄りのCSTO加盟国(*)ですが、ロシアのトリップワイヤー国家にならないことを宣言してもらう。どうでしょう? NATO加盟国であろうが、CSTO加盟国であろうが、脱トリップワイヤーの緩衝帯をつくるビジョンを語り始めているのです。
(*CSTO:ロシアが主導する旧ソ連圏の軍事同盟)
菅野 去年の冬ですね、アイスランドの地で。
伊勢崎 そう、アイスランドの地で。ここ北極圏は、中国が直接参入する「新冷戦」の戦場です。
菅野 中国は北極海の沿岸国ではありませんよね?
伊勢崎 はい。地球儀を北極のほうから見ると、よく分かります。北極圏の権益において、中国はロシアと切っても切れない縁にある。地球温暖化の一番大きな影響を受けるのが北極海です。2030年ごろまでには年間を通して通れるようになると言われています。こうなると、世界戦略の構図が大きく変わるわけです。
菅野 新しい近道ができるわけですからね。
伊勢崎 そうです。インド洋〜スエズ運河〜地中海を経由して中国とヨーロッパを結ぶ南航路を「北極海航路」は三分の二に短縮させるのです。
菅野 つまり中国としては、ロシアとうまくやれば、最短距離でヨーロッパに抜けることができる。
伊勢崎 ロシア沿岸を通ってゆくので、アメリカの干渉を受けないし。更に、永久凍土と氷で閉ざされていた石油・天然ガスや漁業資源の更なる共同投資が可能になります。安全保障面でも、氷のために攻撃型原子力潜水艦等の限られた兵器だけだったのが、それ以外の兵器の投入が可能になるのです。
中国は北極圏において、一帯一路構想と並行して、ずっとロシアとの関係を進化させてきた。この戦略的な関係は、ウクライナ戦争でロシアの味方するなと中国に圧をかけるだけでは断ち切れませんよ。
僕と志桜里さんは、人権の普遍的な管轄権の下に、ロシアや中国も含めて、それがどこの国において発生するかにかかわらず、全ての人権弾圧には、日本政府としてきちんと対処する基本法をつくろうと頑張ってきました。それが「人権侵害制裁法」ですよね(参照:第1回:ウクライナの徹底抗戦。全面支援か?停戦仲介か?とるべき態度は)。
上述の緩衝国家同盟の「傘」には、人権の普遍的管轄権がしっかり位置付けられるべきだと思います。ロシアを軍事的に刺激しないけれど、人権侵害に対しては誰より強く声を上げる。それもロシアの人権侵害だけではなく、パレスチナ問題などアメリカが関係する人権侵害に対しても。緩衝国家は人権大国たる自覚を持つ。そんなビジョンを構築したいのです。
次回へつづく