菅野志桜里✕伊勢崎賢治「ウクライナ侵略への情熱と冷静」信条かけトークバトル〈第2回〉
菅野編集長の国会議員時代、自衛隊活用のための法制化と憲法改正に向け、政策ブレーンとして共闘してきた伊勢崎賢治氏。いわば「同志」だが、ロシアのウクライナ侵攻に対しては、発信に距離感があるようだ。その違いを鮮明にし、合意形成なるか?を試みる対談を行った。
「一刻も早い停戦を」ここに伊勢崎氏と菅野との間に相違はない。停戦のために国際社会の制裁が有効とする菅野に対し、ウクライナがプーチンを納得させる条件を提示することが早道とする伊勢崎氏。停戦へのプロセスのこだわりを語るウクライナ論考対談第2回。
◆菅野志桜里(TheTokyoPost編集長)
◆伊勢崎賢治(東京外国語大学大学院教授)
停戦へ制裁は有効か? 両大統領のメンツが立つ落としどころとは?
伊勢崎賢治(以下、伊勢崎) 既に経済制裁史上最大のものになった現在のこの経済制裁。ロシア民衆の窮乏の怒りはプーチンに向かい、レジーム・チェンジが達成されるのか。それとも、経済制裁を強いる西側の我々に向かい、逆にプーチンの求心力を高めてしまうのか。
必ず前者のシナリオになる確証なんて、どこにもないと僕は思うのです。確証のないシナリオを前提に、それが停戦交渉においてプーチン側を譲歩させる圧になると信じるのは、少し希望的観測が過ぎると思うのです。それが「プーチンを選んだお前たち市民が受けるべき代償だ!」と言えるかもしれませんが、ちょっとロシア民衆に対して酷すぎます。ごめんなさいね。
そして、停戦合意ですが、交渉は着実に進んでいるように見えます。ゼレンスキーは、譲歩に向けて一歩踏み出しましたよね。
菅野志桜里(以下、菅野) 3月半ばの合同遠征軍(JEF)指導者会議での発言ですね。NATOのドアは開かれているという話を聞いてきたけれど、今はドアが閉められたという真実を認めなければならないと。その代わりに別の新しい安全保障体制を構築する必要性があると訴えました。プーチンの体面を立てて停戦を実現する賢い譲歩です。
伊勢崎 同時に、派兵も、No-fly zone(*)も設置もやってくれないNATOに怒りをぶつけている。これはいいことです。「プーチンに屈するではなく、NATOが一緒に戦ってくれないからこうせざるを得ない…」、ウクライナ国民にこう釈明できますよね。
加えて、付帯条件も付けている。最初のそれは、NATO加盟の是非を国民投票にかけるという。
(*ウクライナ・ロシア双方の戦闘能力の均衡化を図るため圧倒的なロシアの制空能力を封じるために強制力をもってウクライナ上空を飛行禁止にする措置。これはNATOとロシアが直の交戦状態になる可能性が高まるためNATOはゼレンスキーの要求を拒絶し続けている)
菅野 あの条件は本気だと思いますか?
伊勢崎 国民投票。いつ、どの範囲で実施するのでしょうか? まず国外に避難した人々の投票をどうするのか。東部ドンバスでも実施するのか。いずれにせよ、ある程度の時間を見込まないと国民投票の実現は難しいと思います。ロシア側からしたら、停戦のカードとしてそんな悠長な条件を呑めるかということになろうかと思います。
現在、付帯条件は、NATO加盟を諦める代わりに第三国がウクライナ集団安全保障を提供せよ、というものに変わってきていますね。こうして、NATO不加盟という譲歩に色々な条件をつけて、交渉のカードを大きく見せる工夫。ゼレンスキー側も、考えていますね。
プーチン側も、「非ナチ化」や「武装解除」は、既に説明したように(第一回目参照)、単なるブラフです。それは、占領統治することを意味し、それをやるための総兵力はロシアにはありません。
広くロシア国民に徴兵を敷けば、その必要総兵力を補えないことはありません。でもそれをやったら、ロシア国民のプーチンに対する大きな反発は必至でしょう。ロシアはそれなりに民主化していますので。だからプーチンはそんな政治リスクはとらない。これが、去年暮れに僕が呼ばれたノルウェーとアイスランドの会議で出会ったロシア人の安全保障専門家の意見でした。
菅野 去年の11月の末に、ノルウェー北極大学とオスロ国際平和研究所主催、北極圏をめぐる新冷戦をテーマに集まった会議ですよね。そのときの内容は、THE TOKYO POSTに寄稿して頂きました。ロシアとNATOの緩衝国家である北極圏・北欧の国々の外交安保戦略。そのまさに3カ月後、ロシアが全面戦争を仕掛けてこうした国々の立ち位置が正面から問われる事態に発展しているわけですが、昨年のこの会議の時点で、ロシアの侵攻とプーチンの意図が議論されていたんですね。
伊勢崎 そうです。あの時には、既にロシアはウクライナ国境に10万以上の兵力と装備を集結させていましたから、同じロシアと国境で接する国として会議主催者の危機感は半端ではなかった。絶対に戦端は開かれると。NATOはアフガニスタン戦争で大敗走したばかりですから、新たに同憲章第5条を発動して参戦する結集力はない。プーチンなら、この機会を逃さない。じゃあ、戦端が開かれるのはいつか? 今年暮れのアメリカの中間選挙までのいつかだろうと。ここまで予測していました。
僕は、政治的目的を達成するために戦争を選ぶ指導者は全て悪魔だと思っていますが、彼は本当に冷徹なソレです。狂ってはいないですよ、彼。
菅野 そこは私もそう思います。狂っているんじゃなくて、独自の世界なんだと。私たちが、国際社会が全く共有していない、共有できない、共有すべきじゃない、全く別の価値観・別の行動基準で動いているんだと。
伊勢崎 アフガニスタン、イラクは言うに及ばず、「自由と民主主義」という価値観でも人はいっぱい死にますが…。でも、今週はマリウポリで、ロシアの空爆で多くの市民が犠牲となっている。こうなってしまうわけですよね。
ただ、プーチンが、例えば軍事命令として無差別攻撃しろとか、原発を攻撃しろとか、これはありえません。
菅野 なぜ言い切れます?
伊勢崎 国家として、戦争犯罪を犯せ、という命令を成文化するはずはないんです。
菅野 少なくとも文書にはしないでしょうね。
伊勢崎 戦闘が長引けば、当然、現場は疲弊する。指揮命令系統も脆弱になる。誤爆、誤射も多くなる。一般論として、紛争後の国際戦犯法廷では、現場で起きた個々の戦争犯罪の責任を「上官」に問うとしても、そのトップのトップの責任をどこまで追求するかは、常に問題になりますよね。プーチンという分かりやすい悪魔に全ての責任を負わせたい気持ちは分かりますが。
志桜里さんと僕は、ジュネーブ諸条約が定める戦争犯罪を問う法体系がない日本の大問題をなんとかしなきゃ、と一緒に活動してきました(国際刑事法典の制定を国会に求める会)。「憲法9条で戦争をしないことになっているから、戦争犯罪を起こすことについては考えない」としてきた日本の法の空白です。
ウクライナでは戦争犯罪の最たる“ジェノサイド”が話題になりますが、ロシアやウクライナでさえ批准しているジェノサイド条約(集団殺害罪の防止及び処罰に関する条約)を日本は批准も加盟もしていない。日本には戦争犯罪を議論する土台そのものがないことを、戦後から現在まで誰も気づかずに来てしまったのですね。
日本の国際政治学者なんかとウクライナで起きているロシア軍の蛮行について議論することになったら、一体どこから話をはじめればいいのか…。ほんと、これ、日本特有の問題です。というわけで、「国際法から見たロシアの侵略」みたいな話題で、そういう専門家と対談してくれというオファーがメディアからあるのですが、断っています。
話を戻すと、正規軍でも現場が疲弊すると指揮命令系統がおかしくなってくるのに、それに加えて、義勇兵や傭兵が参戦しているわけです。国家の指揮命令系統が、どんどん現場を統制しにくくなっていく。
菅野 チェチェンの首長も入ったという話もありますね。
伊勢崎 はい。外国からの義勇兵は、ウクライナに入る前に、命令を聞きなさいねと一筆書かされるみたいですけど、ウクライナ・ロシア双方の軍法会議がどこまで彼らを統制できるのか。僕はアフリカの内戦で、政府vs反政府ゲリラの構造が、末期には双方が民間軍事会社を使い始め、ほとんど傭兵vs傭兵の様相に堕した現場を経験しているので、現場が今以上に混乱に陥る前に、この理由からも、とにかく1日も早く停戦させることが必要だと訴えてきたのです。
菅野 それはそう。ただ、早く停戦するためには、ウクライナが一歩譲るだけじゃなくて、プーチンも一歩譲る状況にならなきゃいけないわけですよね。総じてこれはもう停戦するしかない、全面勝利はない、どこかで妥結するしかないというロシアの意思を後押ししなきゃならない。そのために、私たちは経済制裁とか武器支援をやってるわけで、ウクライナの徹底抗戦とあいまって効果は出しているんじゃないですか。
伊勢崎 ウクライナ側の徹底抗戦の効果は否定しません。しかし、プーチン側が一歩譲るもなにも、既に説明したように、全土を占領するようなブラフはしても、そもそもその能力も意思もないわけです。停戦交渉でウクライナ側に最大限の譲歩をさせるために破壊の限りを尽くし、譲歩を得たらそれで引けばいいだけの話ですから。それがロシア側の算段のはずですから。
ウクライナ「中立化」の選択肢はひとつではない
菅野 ただ国際社会はブラフだと一定理解していても、対国内では違いますよね。ロシア兵士にも少なくない犠牲が出ているなかで、プーチンの引き方がロシア国民にどうみえるか、その見え方が自分自身の地位と命に直結するから。そういう意味では余裕がない。引くに引けない危険な状況、崖っぷちにいる状況なんじゃないんですか。
伊勢崎 プーチンにとっては、最低限3つのことが実現できれば、ロシア国民に対して戦争の大義の体面は、まあ保てるのではないでしょうか。まずは既に実効支配したクリミアの承認。2つ目に、東部ドンバスの2つの州の独立の承認。
でも、地図を見れば分かるように
これだけでは、ロシアにとってクリミアは、この二州から“飛び地”になってしまいます。現在ロシア軍は、マリウポリをはさんでこの二州とクリミヤを繋ぐ回廊のごとく実行支配を広げています。これがクリミアから更に西に拡大しモルドバ、ルーマニアに達すれば、ウクライナを黒海から遮断し内陸国化できてしまう。
これは大変つらい予測ですが、ウクライナ軍の抵抗で内陸国化は防げたとしても、“回廊”の実効支配は事実上硬直化し、停戦ライン化するのではないかと思います。
3つ目に、NATOの軍事基地を造らせない。ウクライナをトリップワイヤー化(参照「その1:米中露の新冷戦~最前線の北極圏が生き残りをかける」)しないということ。この3つ目は、いわゆる「中立化」で、いろいろ交渉の余地があると思います。
菅野 非武装であることと、中立であることは別の話ですよね。ここ大事です。中立のパターン、もう少し説明していただけますか。
伊勢崎 日本の護憲派が一番好きなのは「非武装中立」ですね。ある意味、プーチンのブラフの「武装解除」は、第二次世界大戦後アメリカが日本にあたえた憲法9条と言えるかもしれませんね。スイスみたいな「武装した中立」もある。それと、フィンランドの「フィンランダイゼイション(参照「その5:「Japanification(日本化)を警戒せよ」新冷戦の戦場となる北極圏の小国への示唆」)。“ロシア寄り中立”のパターンですね。
菅野 ただ、フィンランドもスウェーデンも、今回のロシアのウクライナ侵攻をみてNATO加盟を本気で検討し始めていますよね。ロシア自ら、近隣国の「ロシア寄り中立」のスタンスを崩している状況です。
伊勢崎 はい。やっぱりロシアと長い国境で接する緩衝国家ですから、「ロシアを刺激しない派」vs「NATOに入ろう派」の国内政局は以前からずっとあり、世論も揺れ動いてきたのです。今回の戦争を受けて、後者がぐっと強くなっているようですね。
同じくロシアと接するノルウェーもそうです。特に今ノルウェーの元首相がNATOの事務総長をやっているでしょう。
菅野 ノルウェーはもとからNATO加盟国ですよね。すでに加盟しているノルウェーにも、さらなる西側への接近に向けた新しい動きがあるということですね。
伊勢崎 はい。今に始まったというより、2014年のロシアによるクリミヤ併合で警戒感はぐっと高まり、期せずして同じ年に元首相がNATO事務総長になった…。NATO軍を駐留させないことを国是としてきたのですが、小規模ですが戦後初めて(常駐しないことを条件に)それを許し、2021年5月には、これもノルウェーの戦後史初ですが、アメリカ攻撃型原子力潜水艦が北部トロムソ市の民間港に寄港しました。当然、ロシアを大いに刺激しています。
ノルウェーでは、ロシアと接する北と、首都オスロのある南でかなり政治的な温度差があったのです。ロシアと接する北は、国境を跨いで交流の歴史があった。実際、ロシア国境の町キルケネス市には、1944年にドイツの支配からノルウェーを解放した赤軍の勇敢さを讃える兵士の銅像が建っているのです。
菅野 今も?
伊勢崎 取り壊しになったとは、まだ聞いていません。でも、このウクライナ戦争を契機に、これからどう変わるか…。
NATO加盟国であるノルウェーにしても、中立国であるフィンランドにしても、今は変わりつつありますけど、これまでは、自国をNATOの軍事基地にはしないことを国是としてきました。ロシア寄りの中立を維持してきたフィンランドでも、自由と民主主義、我々と同じ価値観を世界に向けて代表してきた…というか、日本なんか足元にも及ばないですよね。
首都ヘルシンキは、国際の秩序と安全のためにいろんな会議が開催された平和外交のシンボルです。ノルウェーのオスロも同じです。こういう人権・平和外交を、国の外交資産としてきました。それは、ロシアを刺激しない平和な国だからこそ、国際的なコンセンサスをつくる外交の中心となれたわけです。
今回のウクライナ危機において、こういう国家の資産を全て根こそぎ消失させてしまうかというと、僕はそう簡単にはいかないと思うのです。
だから、ウクライナには、“かつて”のフィンランドみたいな選択肢もある。自由と民主主義の側で独自の軍も持つ。NATOと時々軍事訓練ぐらいはするけど、外国軍を常駐させることはしない。ましてやロシアにミサイルは向けない。それくらいの落としどころは交渉で探れるはず、と思うのです。
これをプーチンが飲むか飲まないか。プーチンの顔をどうやって立たせるか。それが、これから現われてほしい仲介者の役割だと思うのです。
日本は仲介者の役割を果たせるか?
菅野 ここ、2つ目の論点に関わってくるんですけど。ウクライナの現状における日本の役割をどう考えるのか。G7の一員として足並み合わせて制裁と支援をしています、という現状で基本的に良しとするのか。むしろ仲介者になることも含めて更に別の役割を果たせるとみるのか。
私は基本的に、日本がきちんとG7としての責任を果たす今回の方針と行動は支持してます。今回の状況で日本がオリジナルな役割を果たす余地はそう多くないと思うので。あるとすれば、アジアにおける実力ある自由主義国家として、人道・人権・民主主義・法の支配という価値観を毅然と発信し、深刻な価値の毀損に対しては制裁を含めて迅速に行動に移すことでしょうね。自由や民主主義を欧米・西洋諸国の専売特許にさせない役割。アジアの中でロシアや中国にもの言える国は少ないし、韓国も及び腰です。日本には安定した強い経済力と防衛力があるからこそ、中露に過剰な忖度をすることなく、国家の価値観を打ち出せる。そういうアジアの人権国家としてのオリジナルの役割を果たすことが、日本と国際社会にとって極めて大事だと思う。
伊勢崎さんは、日本に仲介者の役割を期待してますよね。それ、できます?
伊勢崎 できますかというより、即刻停戦につながることなら何でもやらなきゃいけないと思うのです。
憂慮する日本歴史家の会(2022/3/21声明「憂慮する日本の歴史家の訴え」)が民間の立場から動き出しています。東大名誉教授の和田春樹先生を中心にして、三国(さんこく)、つまり日本、中国、インドの3カ国の政府にウクライナ戦争の公正な仲裁者となるよう要請する働きかけです(https://peace-between.jimdosite.com)。僕はこれに全面的に賛同し、和田先生たちの協議のお仲間に入らせていただいております。
これで日本の政治が動くかどうかはまだ分かりません。だけど、アジアがヨーロッパの紛争に仲介することは、あながち夢でもない。なぜかというと、それと逆のことが過去に起き、和平を実現したケースがあるのです。ASEANができない紛争の調停にEUが関わった。それがインドネシアから独立戦争をしていたアチェのケースです。
結果、アチェは独立ではなく大変に高度な自治を獲得しましたが、その監視団をEUが出したのです。中心となってこれを推し進めたのが、フィンランドの元大統領マルティ・アーティサリです。この時、僕は「武装解除」の専門家ということで、日本政府から派遣され、彼を側面支援させていただきました。
こういう文明圏をまたぐ相互協力があってもいいでしょう。だから僕は、人間の知恵にまだ希望を持ちたい。ナイーブかもしれませんが。
菅野 民間の人たちがそういう新しい枠組みを求めて活動していくことから社会が変わったり、国家の新しい選択肢が増えていくと思うので、それ自体が悪いとは思わないんですよ。とはいえ、現在の日本政府としては、まだまだ現実味がない仲介者たる選択肢を取るために、経済制裁や武器支援をトーンダウンしておく対応をしてはいけませんよね。実際、日本の外交はこういうことをたまにやるから。
ミャンマー国軍に対する対応を見てください。日本には国軍とのパイプがある、独自の役割があるといいながら、ひどい人権弾圧に目をつぶり、結局ほとんど何の役割も果たしていないじゃないですか。価値も語らず、仲介もできない。そんな無責任な曖昧国家では困るんですね。
だからこそウクライナの現状に対しては、人権国家の旗を旗幟鮮明にしてG7の結束の一部をアジアから担っていく。これが日本政府の今なすべきことだと私は思うんです。ただもちろん、日本外交の未来の選択肢のために、民間が今回のことを通じて動いていくことは否定しません。
次回へつづく