1972年フランスで、16歳のマリー・クレール・シュヴァリエが同級生に強姦され妊娠したために、中絶を行った母親とその同僚の女性が堕胎罪で起訴された「ボビニー裁判」が行われました。ここで、初めて望まない妊娠で人工中絶を行った母体である少女が無罪を勝ち取りました。それ以来フランスでは、人工妊娠中絶は女性の権利として着実に根付いていきます。
フランスのIVG(人工妊娠中絶)法を
この裁判を受けた1975年、時の厚生大臣であるシモーヌ・ヴェイユは、「フランス第五共和制史上最も困難な議論」と言われたIVG(人工妊娠中絶)を合法化する法律を成立させることに成功します。それでは、法的にこの中絶はどのように考えられてきたのでしょうか。
ヴェイユ法と憲法院判決
まず、シモーヌ・ヴェイユの名にちなんだ「ヴェイユ法」(1975年1月17日法)は、妊婦が困窮状態にある場合に、妊娠10週(最終月経の初日から12週)の終わりまでの期間内に、医師が人工妊娠中絶ができると定めていました。
この「困窮状態」とは、当事者の女性だけが判断することとされています。
これに対して、憲法院に対して違憲審査の申立てが行われました。この申立に対し、憲法院は以下のように述べてヴェイユ法を合憲としました。
「人工妊娠中絶法は、困窮状態あるいは治療上の理由によって人工妊娠中絶を要請しあるいはこれに関与する人の自由を尊重するものである。したがって、これは、人権宣言2条に定める自由の原理を侵害しない。」
「この法律は、第1条で定められる生命の始まりの時からの生命の尊重を、必要な場合に限り、法が定める条件および制約の下でのみ侵害することを許容するものに過ぎない。」
「この法が予定する例外的な事態のいずれも、共和国の方により認められた基本的原理に反するものではなく、国が子供に対し健康を保障することを定めた1946年10月27日の憲法前文の原理を侵害するものではなく、また、同前文が定めるその他の憲法的価値を有する条項を侵害するものではない。」
1982年12月31日の法律
こうして合憲とされたIVGは、1982年の法律により、保険適用対象とされました。
2001年7月4日の法律
この法律は、IVGの期間を10週から12週に変更しました。また、それまではヴェイユ法では、医療機関に中絶を拒否する権利を認めていましたが、その権利を廃止しました。
この法律に対しても合憲性に関し憲法院に申立が行われました。憲法院は次のように述べてこの法律を合憲とするとともに、女性の中絶をする権利を、人権宣言2条に基づくものとし、憲法的価値を認めました(2001年6月27 日判決)。
「法は、その置かれている状態に鑑み、困窮状態にある女性が中絶をすることができる期間を10週から12週に延長することとしたが、これは、現在の知識及び技術に鑑み、あらゆる形の侵害に対する人の尊厳の保護と、人権宣言2条に由来する女性の自由との間の均衡という憲法上の要請を侵害するものではない。」
また、医療機関が中絶を拒絶できないとしても、医師個人は拒絶ができることから、この法律は、人権宣言10条及び1946年憲法前文5項に基づく良心の自由を侵害しないと判断されました。
人権宣言2条は、以下の内容です。
第2条(政治的結合の目的と権利の種類)
あらゆる政治的結合の目的は、人の、時効によって消滅することのない自然的な諸権利の保全にある。
これらの諸権利とは、自由、所有、安全および圧制への抵抗である。
中絶妨害罪と憲法院判決(2017年3月16日判決2017年747号)
https://www.conseil-constitutionnel.fr/decision/2017/2017747DC.htm
中絶妨害罪は以下のように定められています。
「人工妊娠中絶あるいは公衆衛生法典L2212-3から2212-8条(中絶前の説明等の手続きに関する規定等)が規定する行為を行うことあるいは情報を得ることを妨害し、妨害しようとする行為でありとりわけ電磁的方法・インターネットなどその方法を問わず、とりわけ、その行為を行うことを思いとどまらせることを目的として、人工妊娠中絶に関する特性あるいは医学的帰結について故意に判断を間違わせる内容の主張や記載を拡散しあるいは伝達する行為であり、以下の方法による行為は、2年の懲役及び3万ユーロの罰金に処する。
・L2212-2条に規定する機関へのアクセス、かかる機関における職員の移動の自由、もしくは医療従事者あるいはそれ以外の従事者の労働条件を阻害する方法
・人工妊娠中絶について情報を得ようとする人、L2212-2条に規定する機関で働く医療関係者及びそれ以外の職員、並びに人工妊娠中絶を行うために訪れた女性あるいはその関係者に対し、道徳的あるいは心理的プレッシャーを与え、あるいは脅迫しその他威嚇する行為」
憲法院は、この規定は内容は十分に明確であり、罪刑法定主義に違反しないとしました。
また、表現の自由は民主主義の基本的自由であり、他の自由を保障する根本的な自由であるとし、その行使の制約は、目指される目的に鑑み必要であり、適合的であり、比例的でなければならないとしました。
そして、この法律について守ろうとしているものは、人権宣言2条に由来する女性の自由であるとして、この法律の要件を限定的に解釈することにより、表現の自由の侵害ではないと判断しました。
ここで、改めて憲法院は、中絶の自由を、人権宣言2条に由来する女性の自由と表明したのです。
憲法院が求めた限定は、表現の自由の尊重の観点から、不特定多数に向けた記載、とりわけインターネット上の記載は、プレッシャーや脅迫、威迫には当たらず、処罰の対象は特定の人が人工妊娠中絶をすること、あるいは情報を得ようとすることを妨害し、妨害しよう行為に限定されるとしました。
また、人工妊娠中絶に関する情報提供を妨害する行為については、それが処罰の対象となるのは、単なる意見ではなく、情報の提供が求められる場合(のプレッシャーや脅迫等)に限定されるとともに、その情報は人工妊娠中絶が行われる条件やその結果に関するものであり、その情報は中絶に関し何らかの権限がある人、あるいはあると騙る人により提供される場合でなければならないとしました。
アメリカ連邦最高裁の「女性の人工妊娠中絶の権利」はく奪判決を受けて
こうして確立したIVGの自由はフランスでは根付いているものといえます。
極右とされるマリーヌ・ルペン氏も、大統領選において女性票を失わないために、中絶反対の主張を取り下げました。
しかし、アメリカの判決(※)はフランスでも大きな衝撃を受けて迎えられ、ボーヴォワールの次の言葉が思い出されました。
「政治的、経済的、宗教的な危機が一つでも起きれば、女性の権利は失われるということを決して忘れないでください。女性の権利は完全な形で獲得されることはないのです。あなたたちは生涯警戒し続けなければなりません。」
これを受けて、フランスでは、人権宣言2条の解釈ではなく、憲法に中絶の権利を書き込むことが国会の左派勢力から提案され、大統領の派閥もこの動きに同調しています。
女性の権利のために戦い抜いたアリミ弁護士は次のように述べていました。
「私の体は私のものです。しかし、もし私の体が私のものであるとすれば、それは、私自身は身体以上のものだからです。私は理性であり、心であり、自由であり、そして私を作って来た歴史です。それはつまり私は人としての最も重要な選択に関し責任があるということです。それは、生命を与えるのかあるいは与えないのか、という選択です。その生命とは、私が与えたいと思う欲求によってのみ生命となるものです。その生命は、私の意志に反しては生命とはなり得ないのです。
神を信じる女性も信じない女性も、それぞれにとって、生命を与えるということは自由の中の自由であって、その他の自由はこの自由から導かれるのです。職場における平等や、私たちの国の政治や文化、社会において完全なる存在を獲得するためには、女性にとっての大前提があります。それは、自らが自らのものであることです。もし女性が自分の体に対して権利のない状況に置かれるのだとしたら、すべての解放のための戦いは意味のないものです。」
人工妊娠中絶は「生殖に関する自己決定」という狭い権利ではなく、より根源的な自由として位置づけられているのです。
〈脚注〉
2022年6月24日、アメリカでは連邦最高裁が人工妊娠中絶の権利が憲法上の権利(修正14条から導かれるプライバシー権)であることを否定しました。