菅野志桜里✕伊勢崎賢治「ウクライナ侵略への情熱と冷静」信条かけトークバトル〈第1回〉
菅野編集長の国会議員時代、自衛隊活用のための法制化と憲法改正に向け、政策ブレーンとして共闘してきた伊勢崎賢治氏。いわば「同志」だが、ロシアのウクライナ侵攻に対しては、発信に距離感があるようだ。その違いを鮮明にし、合意形成なるか?を試みる対談を行った。
「民主主義のために戦うウクライナを民主主義国は一丸となって応援すべき」という立場の菅野に対し、伊勢崎氏の論調は「なにより停戦、ウクライナは緩衝国家として合理的に判断すべき」というもの。ここに溝はあるのか。あるとすれば、溝を超えて合意形成は可能なのか?
◆菅野志桜里(TheTokyoPost編集長)
◆伊勢崎賢治(東京外国語大学大学院教授)
徹底抗戦するウクライナ、それを支援する欧米日は「熱狂者」なのか?
菅野志桜里(以下、菅野) これまで、中国にせよロシアにせよ、起きている人権弾圧に対する普遍的な制裁法をつくろうとか、日本の自衛隊に武力行使の可能性を認める以上見て見ぬふりをせずに武力行使の国際ルールを日本のルールとして法制化しようとか、私と伊勢崎さんと一緒に活動を続けてきました。人権保障とか法の支配は極めて大事で、でも残念ながら日本にはその価値観を担保する法制度や行動が不足している。こういう認識は同じなんですよね。
一方、ウクライナに対するプーチンの戦争については、伊勢崎さんと私とで、今のところ随分発信が違う。ウクライナの徹底抗戦に対する国際世論に対して、伊勢崎さんは今の状況を「熱狂」と表現して警鐘を鳴らしています。私はむしろ、更にウクライナへの支持が広がって国際社会が強く一枚岩に見えることが極めて重要な局面だと考えています。
共通の価値観に立ちながら、今回は発信が違う。本当に考えが違うのか、一部違うとしたらどこが違うのか。この2人の違いを紐解くことは、それなりに大事な作業なんじゃないか。そんな気持ちで今日はここにいます。
伊勢崎さん、私たちは考えが違うんでしょうか。それとも今自分は何を主張すべきか選択が違うだけなんでしょうか。
伊勢崎賢治(以下、伊勢崎) 多分、戦争を終結させるという目的は同じで、それに至る時々のステージで何をするかが違うだけの話だと思うのです。
この戦争はいつ始まったのか。2014年のクリミヤ併合からか。はたまた、それよりずっと以前のNATOの“東方拡大”からか…。プーチンが見据える敵によって、この戦争をどう捉えるかが変わってきますが、一番身近で明確な戦端は、今年2022年2月24日です。一ヶ月経った現在までの戦況を見る限り、ロシアが完敗して完全撤退することも、ウクライナが白旗を揚げて全面降伏することも、どちらの可能性もない。
ロシアの側を見ると、プーチンの言説とされる「非ナチ化」と「武装解除」。これは、当初からブラフであることは分かっていました。なぜなら、それはウクライナの政治体制を根こそぎ変えることであり、しっかり占領統治して時間をかけない限り達成はできません。
そもそもロシアの地上軍に、ウクライナ全土を平定する総兵力はありません。そして、占領統治には、人身掌握のため、必然的に戦争によって破壊したものを復興する責任が伴います。プーチンがそんな金を出すわけない。
だから、来るべきウクライナとの、帰属問題などの政治交渉で最大限の譲歩を得るために、首都に迫り、空爆で主要施設と都市をできるだけ破壊したところで停戦する。そして、戦後復興におけるゼレンスキー政権と、それを応援してきた西側諸国の経済的負担を最大限にする。プーチンは、こんな悪魔のような戦略を取ると思っていました。
そして、その空爆ですが、これは基本的に非常に雑な戦い方です。必ず誤爆が発生し、破壊力が大きいため必ず市民を巻き込む。だからこそ、1人でも多くの市民の犠牲を無くすために、停戦をできるだけ早期に実現しなければならない。僕の思いは、そこだけなのです。
菅野 その点、ウクライナの側も市民に対して、全面勝利に向けた徹底抗戦を呼びかけているわけではないと思うんですね。100%侵略者が悪いんだから妥協の余地はないという強硬な立場に立つのではなく、むしろきちんと交渉のテーブルについている。
それでも命がけの抗戦を継続しているのは、全面降伏の先には、国家の再生も自由の回復もないからですよね。ましてや降伏したからといって自分や家族の命が助かるかどうかも分からない。蹂躙され虐殺されるかもしれない。だから最低限、人間の尊厳・国家の尊厳を握りしめた状態で停戦を実現しなければ未来がない。そういう認識と覚悟で、徹底抗戦と交渉継続を双方向に続けているわけですよね。そういうウクライナの人々の選択を目にして、私たちが今すべきは、その選択を支持し、表現し、行動し、可視化することだと思うんです。
伊勢崎 はい。だからこそ、全面降伏させレジーム・チェンジし、そしてその後に人心掌握するに必要な、そもそものロシアの総兵力を見据えた議論が必要なのです。そして、当然ロシアは、アメリカとNATOが同様のことをやろうとして、20年をかけ、結果、昨年8月に大敗走したアフガニスタンでの失敗を間近で見ていますからね。同じ轍を踏むはずがない。プーチンのブラフを見極めることで、ウクライナが今後の停戦の交渉を有利に運ぶことができると思うのです。
一方で、僕もプーチン体制がロシア国民の選択によって崩壊することを望んでいます。だけど、それには時間がかかる。その時間の代償は何か。ウクライナ市民の命です。
そして、この戦争の構造は、根本的に“いびつ”なのです。プーチンは、ゼレンスキーではなく、その後ろにいるアメリカとNATOを見据えている。でもそのアメリカとNATOは参戦しない。武器を供与することしかしない。この戦争は、ロシアという強大な核保有国に対するアメリカとNATOの代理戦争なのです。しかし、ウクライナ人だけに戦わせ、そしてウクライナ市民が死ぬ。
代理戦争である限り、この戦争の構造は、東西冷戦終結後から始まったNATOの東方拡大にまで遡らなければなりません。そして、繰り返しますが、NATOが創立以来初めて同憲章第5条(*)を発動し、総出で戦うも、バイデン政権が一方的な政治判断で撤退し、アメリカとその他のNATO諸国の結束が崩壊したアフガン戦争を、ウクライナ戦争の背景として理解しなければなりません。軽武装のタリバンに地上最強の軍事同盟が完敗したのです。アメリカとNATOは、この戦争の総括さえできていない言わば呆然自失の状態で、その国民は新たな派兵を絶対に支持しない。この好機を、プーチンは見逃さなかった。
(*NATO加盟国の1つに対する攻撃はNATO全体の攻撃とする、という原則)
菅野 たしかに、これまでのプロセスで、米国やNATOにもっと賢くより謙虚に振舞う余地があったのかというとあったのだと思いますよ。西の勝利を声高に歴史的事実として主張する姿には驕りがみえたと思うし、その欧米の驕りの時代に、ロシアはプーチンを大統領に選んだわけですよね。その後、プーチンは、チェチェン、シリア、クリミアと力による彼独自の帝国再生事業を展開してきたわけですが、驕れる西側諸国は、そうした蛮行をやめさせるための努力をむしろ怠ってきた。私自身、日本の国会議員という立場にあったわけで、忸怩たる思いがあります。
ただ、そうやって結果的に許してきたプロセスの先にこのウクライナ侵攻が起きた。だからこそ今回は許しちゃいけないわけですよね。正統性がない独りよがりの主権論をふりかざし、国境を破って他国に進軍して、ショッピングモールや産科病院や子どものいる避難場所をあえて爆撃して、民間人を恐怖で締め上げて全面降伏を狙う、あるいはより有利な交渉材料にしていく、そういった卑劣な手法を二度と成功体験にさせてはいけない。ここは共通ですよね。
伊勢崎 はい。アフガニスタンとイラクで、アメリカも国境を破って他国に進軍しました。それらの敵政権を壊滅させるも、その後の占領統治で失敗し、成功体験とはなりませんでした。卑劣だったかどうかは意見が分かれるでしょうが。
でも、アメリカも悪いという議論をしていると、どっちもどっち論になってしまうので、今のウクライナをどうするかの議論がボヤけてしまいますね。それは認めます。
ロシアに対する経済制裁、国際社会の動静と効果は?
菅野 そこで、今日は3つの論点で話を進めてきたいんです。第一に、ウクライナの徹底抗戦とそれに対する国際社会の反応をどうみるか。より強い一体性を求めるか、むしろ一枚岩の現状に警鐘を鳴らすのか。第二に、日本の支援と制裁をどうみるか。G7などと足並みをあわせる現状を基本的に支持するか、さらなる別の役割があるとみるか。第三に、これからの日本の立ち位置をどう考えるか。あくまで自由主義陣営のなかで存在感を高めていくのか、緩衝国家として独自の立ち位置をも模索するか。
あらためて、この第一の論点に引き戻したいんですけれども、プーチンに勝利の芽はない、選択肢は停戦しかない、その判断を引き出すためにも、国際社会が隙なく一枚岩になってみせることが大事な局面だと思うんですけれど、そこはどうなんですか。
伊勢崎 一枚岩と言っているのは、つまり経済制裁のことですよね。
菅野 ロシアに対する制裁とウクライナに対する支援。各国できることには差異はあれど、自分たちの国にできる全力をやります、ここを揃えるべきだということです。
伊勢崎 だから、全力で何をやるかというと、やっぱり経済制裁でしょ。あとは?
菅野 経済制裁と武器支援でしょうね。
伊勢崎 経済制裁は、どれくらいのタイムスパンで、何を達成するかによって、その効果を考えなくてはなりません。今回の経済制裁を受けて、ロシアが対抗策として「非友好国」に指定したのは、欧米を中心に今のところ43カ国にしか過ぎません。中東、アフリカ、そしてアジアのほとんどの国々は経済制裁に参加していません。
特にアジアでは、中国はもちろんですが、インド、パキスタンが参加していません。インドは、東西冷戦において非同盟主義という政治理念を世界で主導し、「俺たちは俺たちの味方だ」と憚らない筋金入りの国です。今日においては、中国に迫るスーパーパワー、そして世界最大の民主主義国家です。独立以来の対戦国であるパキスタンも、今回の経済制裁に参加していません。
一方で、この3カ国は核保有国ですよ。そして、カシミールの領有権をめぐって三つ巴で対立している。彼らは、西側のような「自由と民主主義」とか国際正義を旗に立てた烏合には付き合いません。しっかり認識しなければならないのは、こういう、それぞれに戦争を抱え、自我が極端にとんがった国々が、ロシアと共栄する道をとり始めている。
この経済制裁は、プーチン政権をそれなりに弱体化はさせたし、これからもさせるでしょう。既に、経済制裁史上最高の経済制裁ですから。でも忘れちゃいけないのは、ロシアは2014年のクリミヤ併合からずっと経済制裁下で、民衆は不可避的に耐久性を身につけているという指摘があることです。
菅野 ただ同じ経済制裁でも2014年とはレベルが全然違いますよね。スウィフトからもエネルギー供給網からも締め出そうとしているわけだから、今回は。
伊勢崎 そうです。でも一方で、プーチン政権だけではなくロシア社会が弱体化してしまうと、ロシアの内からの変革の可能性にどういう影響をもたらすのか。それと、この経済制裁は、結果的に、ロシアの友好国vs非友好国という、互いに閉じた二つの経済ブロックをつくっていくだけのような気がするのです。
菅野 ロシア国内でまともなメディア報道が潰されていくなかで、人権とか正義の旗印だけでプーチン体制をひっくり返す動きを期待するのは今難しいと思うんですよ。でも、経済制裁がきいて、暮らしの肌感覚で、今向かっている方向がおかしいと感じる庶民はいるはずで。正義の旗を振る人たちと、暮らしの改善を訴える人たち、その両方が共鳴していく契機にはなるんじゃないですか、経済制裁は。もちろんいわゆる庶民だけではなく、オリガルヒに代表される経済人の離反にもつながる可能性があるわけだし。少なくとも、制裁をほどほどにコントロールした方が、ロシア内部からの体制崩壊に近づく、とは思えないです。
伊勢崎 それは結局、ロシア社会への兵糧攻めですよね。北朝鮮も、イランもそうされてきました。でも、制裁の最終目的である核は放棄させられていない。ロシアは、これらの国と全然“懐”が違います。巨大な資源国ですから。
そういう経済制裁は、悪い政権の弱体化を目指すことが目的であり、ただでさえ貧困に喘ぐ民衆をさらに痛めつけないように、どう人道的配慮をするかがいつも問題になりますよね。
志桜里さんと僕が、いわゆる人権外交の名の下にその策定を画作してきた人権侵害制裁法(*)の目的は、一般民衆を困らせる制裁じゃなくて、政権内の加害当事者をピンポイントでターゲットにして、資産凍結や入国拒否などを課す制裁ですよね。
今回のロシアに対する経済制裁でロシア社会を弱体化すれば、ロシア一般民衆が怒ってプーチン政権へのレジーム・チェンジに向かう。そこに賭けているわけですよね、志桜里さんは。
(*人権侵害制裁法案の概要(衆議院法制局資料)https://drive.google.com/file/d/1nYEzI24nyPkxHQ76v_IQymPSd6k8Wp_V/view )
菅野 長期戦になって、経済制裁一本槍になって、ひたすら庶民を兵糧攻めにしていつの日かの体制転換を待つということじゃないんですよ。今まだ開戦して1カ月。交渉が継続的に開かれているなかで、経済制裁もする。直接・間接の武器支援もする。そうやって圧をかけて、早期の停戦合意、そしてウクライナにとってよりマシな停戦合意へと周辺環境を整えていく。今はそうすべきだということなんです。